宝永町の「かずこ」〔3977〕2014/03/06
2014年3月6日(木)晴れ
晴れちょりますが、空は霞がかかったよう。PM2.5でしょうかね〜。北に見える四国山地には雲が。主脈では雪かも知れません。ああ、山へ行きたい。
ここは今朝の宝永町。
2月は、全然走れませんでした。たぶん100kmも走ってないと思います。運動量が減っても、飲み食いする量は減らないので、その分お腹の周辺にお肉がつくのは当然。自明の理。こんなことではいけません。
昨夜は久々に会社から走って帰りました。北西からの風が強いので、冷たい向かい風。久々で、膝とかに痛みが発生する可能性があったので、慎重に慎重に負担がかからんようにRUN。帰り着く頃には顔や足先が冷えて冷えて痛いくらいになっちょりました。
そんな訳で、今朝はバス出勤。また、白い折りたたみ号(自転車)を自宅に降ろしちょくがを忘れちょったもんですき、朝一番の空港バスに乗って農学部前下車、てくてく歩いて出勤しました。北風が冷やい朝。
宝永町のバス停を朝一番に出る空港バスは5:58発。ちくと時間があったので、周辺をロイロイ。バス停の西側に、南北の通りがあります。それを北へ。
現在、鏡川大橋から宝永町の交差点、一文橋と、広い道路がつながっちょります。以前は、宝永町から一文橋の間は住宅が密集したエリアで、あんな道路、無かったがです。電車通りから一文橋へ行くには、バス停の西側、銭湯の東側の道を北進、江ノ口川の土手に突き当たって右折、そして一文橋を渡りよりました。自分の感覚では割合最近まで。とは言え、20年以上は経つでしょうか。
写真は、その南北の道。メイン道路が東へ移り、今は静かな宝永町の通り。この界隈に、高知の城下を守るための堤が構築され、宝永南海地震で崩壊。新たに構築された堤が宝永堤と呼ばれたので、今も、ここを宝永町と呼ぶ訳です。
この、電車通りから2筋くらい北へ行った界隈には、少しだけ飲食店が並びます。昔は栄えたのでありましょう。今は静かな、常連さんのみで営業されるお店が少し。
その角に「かずこ」というお店が見えます。昔、何度か行きました。「高知のぬかるみ探検隊」で。
「高知のぬかるみ探検隊」については、以前にも何度か書きましたので、コアな読者の方はご存知と思います。活動しよったのは、もう10数年前になるでしょうか。
小生が隊長で、高知の、入店するにはかなり度胸が要るような、しかし気になって仕方ないようなお店をセレクトし、実際に入店して飲食してくる探検隊でした。今はもう無いなりましたが、はりまや橋交差点から南へ行った信号を東へちょっと行ったところにあった「亀寿」さんというお店がベースキャンプ。アルコール依存症の方で賑わうそのお店は、朝になってもカラオケのがなり声が聞こえてきよりました。よく、パトカーも出動しよった「亀寿」。切り盛りしよったおばあちゃんが亡くなって、今はもう営業しちょりません。
「高知のぬかるみ探検隊」で、よく探検に来たのが宝永町。一昨年ですか、火事で焼けてしもうた木造の古い建物に挟まれた不思議な路地。あそこは、ワンダーランドでした。探検隊結成当時は、まだ、何軒か営業しよりました。あのエリア以上のワンダーランドは、高知では、未だ体験したことがありません。火事で焼けてしまい、もう、お店の痕跡もなくなってしまった昭和の路地。
そんな探検隊で、ぬかるみでは無いものの、ちょっと気になるお店にも行きました。その一つがここ「かずこ」。
何が気になったかと申しますれば、建物の小ささ。
とにかく、奥行きが、エアコンの室外機2つ分くらいしかない建物。幅は1間半くらい。これで、中はどうやって営業しゆうのか、気になって気になって。で、探検隊4人くらいで入店してみました。もちろんカウンターのみで、我々で満員。当たり前ですが。
何でも、普通の建物としての許可は降りてないので、屋台の許可でやりゆう、てな話を、気のエイおばちゃんが話してくれました。
メニューにあった焼うどんを注文すると、おばちゃんはどこへともなく出掛けていきました。暫くしよったらスーパーの袋を持ってモンてきました。中にはうどんがひと玉。今の宝永町バス停のところに、24時間営業のスーパーがありましたので、おばちゃんは、注文を受けてからスーパーに材料を買いに行き、そして、作りよったがですね。
素晴らしい。在庫を置かない究極のカンバン方式。トヨタ自動車の生産管理責任者に見せてあげたい、そんなお店でした。
あれから10数年が経過し、亀寿も、宝永町の路地のお店も無いなってしまいましたが、ここ「かずこ」は、今も営々と続けられよります。
24時間営業のスーパーも閉店してしもうた今、材料は、冷蔵庫に買い置きして、営業しゆうがでしょうか。今度、久々に行ってみとうなりました。