過去を振り返るということ〔3960〕2014/02/17
2014年2月17日(月)晴れ
昨日の龍馬マラソン、面白うございました。走った同級生と葉牡丹で打ち上げをやりましたが、葉牡丹超満員。たぶんひろめ市場も満員。走った後のランナーで溢れかえる高知のお街。素敵な光景でした。
走った連中の間で話題になっちょったががブロッコリー。マラソンで、エードにブロッコリーというのはビックリ、という話。食べてみたけんど喉に残って往生した、みたいな。ちくわとキュウリも、別々に出すがぢゃあのうて、チクキュウにして、細うに切ってくれちょったら食べれたに、という話も。まあ、2回目ですきんね。どんどんと良いものになっていくでしょう。ホント、走りとうなってきました。
さて。ここは今朝の南国市、琴平山。山頂に琴平神社さんが鎮座まします琴平山は、津波からの避難場所でもあります。眼下に、太平洋と、海岸線に延びる久枝、前浜、浜改田、十市の町が見えます。近在の、海岸部の人々にとっての命山。
この琴平神社境内に、安政南海地震の様子を克明に刻んだ玉垣が奉納されちゅう、という話は、以前にも書きました。その内容についても。
この玉垣がご寄進されたのは、安政五年三月。
その狛犬がご寄進されたのは、安政二年三月。
まず、狛犬。安政二年三月と言えば、まだ、安政南海地震から4ヶ月しか経過しちょりません。そんな時期に、津波の被害を受けた夜須の住民によってご寄進された狛犬。どんな思いで寄進されたのでありましょうか。
そして玉垣。ご寄進された安政五年三月は、安政南海地震から3年と4ヶ月。3年経って、地震津波の災害を振り返り、後世への戒めとして残しておきたい気持ちを刻んじょります。津波の様子を記した後、「金比羅さんのご加護によって被災を免れたことを心より感謝してこの玉垣をご寄進し、また、震災の詳細を刻みつけて後世の人たちの覚悟の一助と為そう」という内容が刻まれる玉垣。
間もなく、東日本大震災から3年を迎えようとしています。はや3年。まだまだ復興への道のりは遠く険しい被災地。150年以上前の人々は、3年経って、震災を振り返って後世への戒めを刻みました。
宇佐の萩谷口に、真覚寺日記で有名な住職、静照さんが法要した、安政地震津波を伝える、犠牲者供養の碑が立っちょりますが、その碑が建立されたのは安政四年十一月。まさしく、地震から丁度三年目。
赤岡、飛鳥神社に立つ、地震を伝える碑が建立されたのは安政五年九月。地震から3年10ヶ月。
3年経過すると、ようやく、過去を振り返る余裕が生まれてくるのでしょうか。今、東北では、安政の頃のような余裕は、取り戻してこれているでしょうか。
少なくとも福島では、まだまだ大災害の最中にいるようで、とても、過去を振り返って碑を立てるような状況ではないようです。
将来、この平成の東北大地震を振り返って、人類はそれで何を学び、何を学ばなかったかを検証する日が必ずやってきます。子孫に対しての責任を、この、先人が刻んだ文章を読むにつけ、感じてしまいます。