畝丘樹下神社の、鎮守の森〔3961〕2014/02/18
2014年2月18日(火)降ったりやんだり
今朝は、冷たい雨が降りよりました。北風が強く、冷たい冷たい雨。山は雪でしょうか。
龍馬マラソンに触発され、昨夜は久々に会社から走って帰ったので、今朝は自転車出勤。の、つもりが、自転車(白い折りたたみ号)を家に降ろしちょくがを忘れちょったので、バスでの出勤。宝永町を5:58に出る、空港行きのバスに乗り、農学部前で下車して、歩いて会社まで。
写真は、宝永町のバス停から北西にちょっと行った田淵町。ここには、ご覧のように、不思議な造形の樹々が立つ鎮守の森があります。ご存知でしょうか。畝丘樹下神社。以前に、一度だけご紹介したことのある、豊穣の神様。
畝丘樹下神社と書いて、おいげじんじゃと読む、と、前回にご紹介したときに書きました。しかし、手元の文献を見てみると、おいげこのもとじんじゃ、というフリガナ。地元では、もちろん「おいげさん」。
前回も書きましたが、おいげは御神母で、農業、豊穣の神様。山田の東に神母ノ木がありますが、同じ意味。ここ、田淵町は、寛永八年(1651年)に、島崎藤右衛門さんという個人が町家として開発した町。田んぼに隣接するので田淵であるとか、この南に渕があったので田淵であるとか、諸説あるようです。この南側、農人町との間には、昔、浦戸湾が入り込んで知寄ヶ渕という深い深い渕があったことは、事実のようです。今からは想像もできませんが。今でも地盤が低く柔らかいので、地震や津波に弱いエリア。
この畝丘樹下神社さんの御祭神は高加茂大明神、宇迦之御魂神、泣沢女神。そうか、加茂の神様か。宇迦之御魂(ウカノミタマ)神は、もちろん豊穣の神様。イザナミが火の神を産んで亡くなった際、イザナギが泣いた涙が畝丘の樹下に落ちて神様となったのが泣沢女神(ナキサワメノミコト)。湧き水の神様。ですきに、豊作、豊穣、稔り、繁栄を祈る神様が、ここ、畝丘樹下神社さんであるという訳です。
そしてこの場所、ホノギ名は、「堤倒し」。農人町方向に堤ができる以前に、堤があった場所で、新しい堤を造る際に倒されたがにかありません。
元々この畝丘樹下神社さんは、塩田村に、寛文四年に建てられたものが、1707年の宝永南海地震の後、ここに移されてきたようです。宝永南海地震では、ここにあった堤が決壊して城下に甚大な被害をもたらし、新しく堤防が構築され、宝永堤と呼ばれるようになったがはご承知の通り。その際、津波の長期浸水で破壊された畝丘樹下神社さんを、ここに移してきたがかも知れません。新しい堤の竣工に合わせて。
この、ミッキーマウスの集団みたいなシルエットの鎮守の森には、そんな歴史をもつ、由緒ある神様が祀られちゅうがです。