雨上がり、南嶺縦走RUN、東から西まで〔3945〕2014/02/02
2014年2月2日(日)あづい。
なんという暖かさ。いや、お日様の下に立つと暑いくらい。まだ2月になったばっかしでこの気温はすごいですな。20数℃までは上がっちゅうにかありません。明日朝の予想最低気温もなんと10℃。なんぢゃそりゃ。
こんな気温になると、雪山も、雪がベショベショしてきます。それは避けて、今日は南嶺縦走にしてみました。山道は濡れて滑りやすいですが。
縦走とは、尾根筋を、ピークに寄りながら進んで行くもの。いつもの南嶺縦走は、筆山から高見山、鷲尾山、烏帽子山と走るのでありますが、今日は東から西へと攻めてみることにしたのであります。
そうそう、縦走、「走」と書いちゃありますが、普通は歩きます。が、小生の場合の南嶺縦走は、走ります。負荷がかかって楽しい山RUN。
まず、家をスタートして桟橋方面へ。桟橋五丁目から孕橋を渡って太平洋セメントの方へ。工場の前を東進し、孕半島の西端。そこに、大海津見神社さん登り口の鳥居。その鳥居をくぐり、いよいよ山へ。山道を駆け上ると大海津見神社さん。お参りしちょいて、その脇の山道をどんどん登ると南嶺尾根筋の道になる訳です。
右手に太平洋セメントさんの、ジブリ映画に出て来そうな工場を見ながら、尾根の起伏を楽しみつつ西進。どんどん西進。どんどん西進すると、宇津野峠。急坂を、心臓ばくばくいわせながら駆け上り、上って下って上って上って宇津野山。標高256m。一気に西へ下り、尾根の起伏を楽しむと、今度は鷲尾山。307m。
写真は、その鷲尾山の頂上から南東の方角をながめるひまわり太郎。これっぱあ走っても貫禄のお腹が微笑ましい。昨夜が雨で、今日が晴れたもんですき、あちらこちらに水蒸気。それに朝日が反射して美しいのなんの。きてみて良かった南嶺。
頂上西側の急坂を、滑らんように気を付けながら掛け下り、またまたずんずん駆け上がると烏帽子山。358m。そこが南嶺のピークになります。烏帽子山の西側には、舗装された車道。てっぺんのテレビ高知テレビ塔建設と保守のためにつくられた取り付け道路。その道路を駆け下り、途中から山道へ。白土峠。かつて、高知の城下と春野の芳原を結ぶ往還路の峠。そしてそこからまた尾根筋を西へずんずん駆け上って行くと、柏尾山。323m。最近、高知さんさんテレビやNHKのテレビ塔が建って、ちょっと目立つようになりましたが、鷲尾、烏帽子、高見、筆山に比べると地味な印象が拭えない柏尾山ですが、実は標高は烏帽子山に次いで2番目。
で、このにっこりでは、過去3度ばかし、柏尾山頂上界隈に昔あったお寺の痕跡の五輪塔を探したにも関わらず、よう見つけんかったことを書きました。さあ、今日は見つかるのか。
そんな訳で、道から外れて斜面や薮の中を随分とたつくってみました。これ以上やったら遭難しそうなばあ。尾根は歩ける斜度ですが、北斜面や南斜面はなかなか急斜面。「寺が段」という場所にあるという五輪塔、また、今日もよう見つけませんでした。かなりたつくったのに。その代わり、山道の途中から南に入った見晴らしの良い場所にある岩を発見。明らかに、ヒトの手が加わったスペース。そこが、往古、宗教的なスペースであったことは間違いない。磐座かも知れません。そこで、遠い昔に思いを馳せ、白土峠まで戻って、車道を掛け下って大奈路へ。
と、ここまで書いてきたところで、前高知県立歴史民俗資料館館長にして現土佐史談会会長、我が尊敬する宅間先生から電話。実は、柏尾山で五輪塔を探しゆうときに、場所を聞こうと思うて携帯へ電話しちょったがです。その時は出られんかったがですが、今、折り返しのお電話。で、五輪塔の場所を聞いてみたら、全然違いました。愕然。
あの、テレビ塔のある場所からもっとずっと西。柏尾山のピークは、もっと西にあるがやそうです。で、その南に五輪塔。ああ、なんたる迂闊。もうちっとキチンと調べて行けば良かった。残念。今度必ず、詳細をレポートします。
さて、そんな訳で大奈路。
大奈路という地名は、もう、由来は一目瞭然。山中の、突然出現する広い平たいエリア。広大なナロい場所。大奈路。大奈路から西へ下り、神田トンネルの南入り口のところから、旧道を走ってみました。トンネルができるまでの、治国谷ルート。駆け上がってみると、峠の界隈、今は、霊園とかができちょりました。そっから神田トンネル北口の方へは下らずに、眼下の谷の方へ下る道を駆け下りてみますと朝倉。福祉交流プラザのところに出ました。
で、山沿いのクネクネした小さい道をたどって、神田へ。いつものぽかぽか温泉。
手元の、ガラケーに付属しちゅう万歩計機能を見てみると、合計走行距離は24km。山道ですき、それほどはないでしょうけんど、まあまあの運動になりました。南嶺、東から西までの縦走。
しかし今度は、柏尾山山頂をキチンとたつくり、治国谷から根木谷、荒倉まで行き抜ける縦走をしよう、と、密かに誓ったのでありました。