浮かび上がる上岡八幡宮〔3920〕2014/01/08
2014年1月8日(水)雨
久し振りの雨。しっかりと降りつづける雨。気温は高めで、冷たい雨ではありません。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮さん。鎮守の森に雨。マイナスイオンの森で聞こえるのは雨の音ばかり。
上岡山の山腹に鎮座まします八幡様は、夜明け前の闇夜に浮かび上がって、厳粛にして荘厳。
出張とかでない場合は、毎朝お参りにきますので、このにっこりひまわりでも何度ご紹介したかわからん八幡様。もちろん御祭神は応神天皇、神功皇后。そして姫大神、とされる旧郷社。
いつも参照する「高知県の地名」という本から、この八幡様の由緒などを改めてご紹介しちょきます。
まずは石船伝説。
香我美町のスズガサコに、天忍穂別神社が鎮座まします。石船(いわふね)神社として親しまれる神社。香宗川の上流。御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊で、相殿にニギハヤヒノミコトをお祀り。つまり、物部氏の祖先神。土佐での物部氏の根拠のひとつとなった場所ながでしょう。
石船が、物部氏の祖神ニギハヤヒが、河内国から石船に乗って上岡山に移り、その後、そのスズガサコに飛んで行って遷座した、といいます。前にも書きましたので、ご承知の方も多いとは思いますが。
現在の上岡の西、物部川の対岸界隈は南国市物部。元々物部氏の部民が住んだので、そんな地名がついたとされる土地。物部つながり。
つまり、史実としては、太古の昔、物部氏の一族が土佐にやってきて、物部川の自然堤防の上界隈に住みついて勢力を持ったのでしょう。その中心の小山を、そのコミュニティの中心に据え、祀ったがかも知れません。神の丘として。神の岡。神岡。上岡。
当時の物部川本流は、今よりずっと西を流れておりましたので、上岡も物部も物部川西岸のひとつの集落でした。
何らかの理由で物部氏は西へ移動、香宗川を遡って、スズガサコに定住するようになり、神様も一緒に移動していった、ということながでしょうね。妄想ですが。
その後の上岡も、ずうっと信仰の山でありつづけたでしょう。貞和五年(1349年)の年号の鰐口があった、とされ、天正十六年(1588年)の長宗我部地検帳には「上岡八幡宮」として記載されるので、当時はもう八幡様になっちょったことがわかります。
境内には阿弥陀堂もあったそうです。
現在、何も書かれちゃあせんので知る方も少ないと思いますが、山神社、岩戸神社、竃戸神社、伊気神社を合祀しちゅうそうです。明治期の政策で、纏められたがかも知れません。
雨の上岡に静かにたたずむ八幡様。昨日の椿さん、一昨日の土佐神社でも書きましたが、その神様は、時の政治情勢を反映して変遷してきたのかも知れません。
しかし日本では、何の神様であれ、大自然のありようとして尊崇する気持ちで、連綿と、地域に住民たちに大切に畏れ敬われつづけるのであります。