夢が広がる三宝山〔3885〕2013/12/04
2013年12月4日(水)快晴!
こないだの高知新聞に、三宝山のてっぺん界隈を、今一度整備して観光の拠点にしょうと、香南市が検討中との記事が載っちょりましたよね。やっと動き始めました。良い事です。
標高259.9mの三宝山てっぺん、その眺望は、もう、半端ではありません。昔、遊園地やレストランから眺めたことのある方に異存はないでしょう。
元々は信仰の山。昔、山頂に金剛堂寺(金剛童子)さんと呼ばれたお寺があったそうです。今は、三宝社とも呼ばれる竃戸神社さんと、浅間神社さんが鎮座。その下に、三宝山スカイパークの跡地や三宝山スカイレスト跡地、それにシャトー三宝がそのままの姿で残ります。
野市から、龍河洞スカイラインという有料道路で上ってきた三宝山。そのスカイラインは、昭和45年、高知新聞社元社長の福田義郎さん、元県議の岡崎喜代志さん、それに元東部自動車学校社長の北村憲一郎さんが一緒になって「株式会社龍河洞スカイライン」を設立して工事を行い、昭和48年に開業した、とあります。そう。県道でもなんでもなく、私道であったとはビックリ。
で、高知新聞社や野市町の支援で遊園地、レストランも整備され、一時はなかなか賑わいよりましたよね〜。
スカイラインの有料営業は平成9年3月末で終了。そのまま県に寄付され、県道に移管して無料になった、という経緯。
で、てっぺんにあったあの遊園地、三宝山スカイパークも、その際に閉めちゅうようです。昭和45年から平成9年までの営業。
三宝山スカイレストの方は、もっと後まで残りました。まあ、絶景のレストランですきんね。高知新聞関連の企業がやりよったと記憶しちょります。そのレストランも営業を終了したのが平成15年10月25日。
旧スカイラインをどんどん上っていくと、昔、スカイレストやスカイパークへ行くがに入って行きよった取り付け道路の入り口ゲートがあります。今は、固く閉じられたゲート。そのゲートに、「お客様へ 永らくご愛顧いただきましたが、都合により平成15年10月25日(土)をもちまして、閉店させていただきました。 三宝山スカイレスト」と書かれた表示板が貼られちゃあります。なるほど。
つまり、スカイレストは、10年前まで存在した訳です。そんな最近まで。そうやったのか。
このにっこりひまわりを始めたがが平成15年4月17日ですき、その当時はまだ営業しよったがか。迂闊でした。そうと知っちょったら、営業しゆうスカイレストを撮影しちょくがやったに、と悔やんでも始まりません。
ともあれ。
今、県道からの取り付け道路のゲートは固く閉じられ、歩いて入ることも無理。しかし、頂上少し手前の左手に山道があり、それを登っていくと、普通に、あのシャトー三宝前の広場に出られます。別に立ち入り禁止になっちゅう訳でもなく。
そしてそこからの眺めは、ホントに素晴らしい。廃墟感に溢れてはおりますが、シャトーの前の雑草は刈られちょりますきに、今でも時折管理されゆうにかありません。
写真は、スカイパークから降りてきたところ。有り難うございました、という看板。その向こうにシャトー三宝。シャトーの手前、雑草が生い茂ったエリアに、スカイレストがありました。今は昔。
ここが、再び観光施設として蘇るとしたら。どんなががエイろうか、と、妄想してしまいます。せっかくですき、面白いもんにしたいですぞね。うまいもんも食べれて、眺望絶佳で、楽しゅうて。一時的にヒトが集まるものでは決してない、何度も何度も行きとうなる、三宝山。夢が広がる三宝山。