雨の大谷神社さんが好き〔3843〕2013/10/23
2013年10月23日(水)雨
台風が気になります。高知では、この終末からねんりんぴっく。ご高齢のスポーツマン、スポーツウーマンの皆さんが全国から集結することになっちゅうがですが、大丈夫でしょうか。台風は、できるだけ早く、そしてできるだけ南側を通り抜けてもらいたいと、高知県人は強く願うところです。
今大会は、なかなかお弁当の輸送が大変で、弊社も、お弁当の冷蔵輸送についてかなりご協力することになっちょります。
さて。そんな訳で雨。雨が降ると、お参りしとうなる神社があります。理由は自分でもわかりません。そのお宮さんは、ここ、大谷神社さん。野市の、三宝山へ上る道路、龍河洞スカイラインの上り口からちょっと北の谷間。その谷に鎮座まします大谷神社さん。何度かご紹介してきました。
大谷五社大明神と呼ばれよった、地域の大切な神様。前にも書きましたが、とにかく、「三代実録」貞観12年(西暦870年)の記事に登場するという古い古いお宮さん。この谷は、古くから大谷の神が鎮座する場所でした。
「高知県の地名」によりますれば、ここ大谷には、大谷神社、厳島神社、大元神社、伊気神社、野神社、星神社、山神社、八幡宮、地蔵堂などがある、と書かれちょります。このせんばいエリアにこれっぱあ。神社が多いみたいに見えますけんど、明治維新までは、厳島神社は弁天様ですし星神社は妙見様ですし、神仏習合の、様々な信仰がひしめいちょったことがわかります。
ここ、大谷神社さんの御祭神は天岩戸別命さんとされます。アマノイワトワケノミコトさん。天孫降臨、つまり、ニニギノミコトが高天原から下ってくる際に三種の神器といっしょに下ってきた神様にかありません。門を守る神様。この名前から連想される、天照大神が天岩戸に籠って出て来んなった話には登場しません。
しかしまあ、古い土地です。現在の野市中心部は、野中兼山さんの灌漑によって開けた場所。それ以前は荒れ野やったそうで、ここ、大谷など、山裾の湧き水が豊富な場所に、集落が形成されちょったがでしょう。この神社と大日寺との間には、戦国期、大谷城があったそうです。山田、楠目城主、山田元義の一族。同じく「高知県の地名」によりますと、伊野に磐居しちょった神谷出雲守道直さんが、ここ大谷に移ってきて大谷姓に改姓、その息子の大谷左馬介さんのときに強大になったそうですな。しかし、結局、長宗我部国親さんに攻略されちょります。そんな大谷城址は、今は住宅地になっちゅうそうです。
う〜ん、このところ神社の話が続きましたね〜。別に、信心深いとか神道絶対主義者とかでは全然ない、極めて俗物なのでありますが、大自然の脅威とかがクローズアップされると、人間の、大自然との付き合い方について色々考えさせられるがです。そして、古来、そういった大自然の脅威も恵みを畏れ敬う心が、アニミズム的とは言われても、人間の宗教心につながっていったのは言うまでもないこと。
自然に融け込む神社仏閣の有りようを見たとき、そしてそんな大自然に囲まれたとき、静かに、人間の小ささと大自然の偉大さを噛み締めることができるような気がするのであります。
エラそうなことを書きましたが、まあ、こんな雰囲気が好き、というだけの話ですが。
雨が降ると、ここ、大谷神社さんにお参りしとうなるのは、雨が降るこの森の雰囲気が好きなだけ。マイナスイオンの空気を吸い込み、今日一日の鋭気を養うてきました。