秋晴れの千松公園、浦戸大橋〔3834〕2013/10/14
2013年10月14日(月)秋晴れ!
これを秋晴れと言わずして、何を秋晴れと言うべきか。といったお天気の体育の日。昨日、一昨日はかなりの運動をしたので、体育の日の今日は運動もせずにのったりまったり。午前中は会社へ行っちょりました。お昼過ぎ、帰りがけに寄った千松公園。高知市種崎。浦戸湾の入り口の東岸、種崎半島の先っぽ。浦戸大橋が、対岸の浦戸との間に架かります。
千松公園の南側は砂浜。以前は、高知で一番賑やかな海水浴場、種崎海水浴場でした。今も、真夏には、海水浴場になっちゅがでしょうか。しばらく来たことがないので、真夏はどんなになっちゅうか、知りません。
で、今日の千松公園の駐車場。意外なことに、結構たくさんの車が停まっちょりました。何でやろう、と思いながら海岸の風景を見て納得。そうか。釣りか。砂浜の横の突堤にも、そして浦戸大橋真下の岸壁にも、たくさんの釣り客。心地良い気候の中、心地良さげに、たくさんの方々が釣り糸を垂らす風景。
以前にも書きましたが、丁度この対岸で、小生の母は生まれ、幼い頃を過ごしちょります。で、浦戸の子は、こちら側の種崎まで泳いで渡れるようになって一人前とされちょったと、何度も聞かされました。ここを、子供達が泳いで行き来しよった時代。
小生が子供の頃は、この浦戸大橋もなく、対岸の浦戸の漁港からこちらの種崎に渡るのはポンポン船。
種崎の海水浴場の横には海の家があって、そこで海パンに着替え、夏の一日を過ごしたことでした。
この浦戸大橋が完成したのは昭和47年。そのデザインといい、機能といい、画期的でした。人類の知恵と技術。今日行ってみますと、千松公園側にたくさん立つ、浦戸大橋の橋脚で、耐震補強工事をやりよりました。南海地震が発生した際、この橋は、逃げ場のない種崎地区の住民の避難場所になるかも知れない、などと考えよりました。
しかし。高知大学理学部の、地震学で有名なO特認教授に以前話しを聞いた際、この浦戸大橋の危険さについて教えて頂いて、ビックリしました。この話は前にも書きましたが、重要なのでもう一度。
浦戸湾は、海水面が今から200m〜300m低かった時代、四国山脈から太平洋に流れ出る川によって削り取られた渓谷やったと言います。海水面が上昇し、土砂が堆積して、今の浦戸湾が形成された、という訳です。そんな訳で、この写真の橋脚の下には、岩盤がない。あっても、200m以上、下。そこまで基礎杭を打ち込むのは現実的ではないので、ケーソンを沈め、その上に橋脚を立てちゅうだけながやそうです。つまり、置いただけの浦戸大橋。
詳しい話は聞きませんでしたが、千松公園側に並ぶ橋脚の下のいくつかには、たぶん、岩盤があるがでしょう。そこをしっかりと補強しちょかんと、地震でばったりカヤる、という最悪の事態が訪れる危険がある、と、O特認教授は、小生に、研究室で話してくれました。
そして、最悪の想定では、倒れた浦戸大橋が浦戸湾の入り口を塞いでしまいます。そうなったら、湾内と湾の外を船が行き来できんなる。浦戸湾内に停泊させちゃある海上保安庁の船も、湾に閉じ込められる、そうなると、海からの救助作業などにも重大な支障を来す、という想定。もちろん、海から、高知市内の津波被害への救援にやって来ることができんなる、ということも考えられます。
そんなことにならん為、対策が必要、ということですが、いくら対策を建てても実際はどうなるか、誰にもわからない、と、O教授が恐ろしいことをおっしゃっておられました。しかし、できることを、着実に精一杯やるしか、人間にできることはない。一番良い方法を、知恵を寄せ集めて考えだすしかない。
人類の知恵と技術で、この橋が架けられたのであるとすれば、それを上回る知恵と技術で、地震対策をやっていくしかないのでしょう。