地蔵の頭、天狗塚、牛の背、大自然に抱かれて〔3832〕2013/10/12
2013年10月12日(土)晴れ〜!
久々。ホントに久々に、三嶺方面にやって来ました。前回来たのは今年の4月13日。忘れもしません。まだ、雪の残る三嶺。あの、さおりヶ原公衆便所の悲劇は、今思い出しても冷や汗がでる、印象的な事件でした。
しかし、今日は、三嶺にも登らず、従ってさおりヶ原も通らず、そんな訳で、あの、小生が内側から鍵をかけたまま脱出し、放置してきたあの状態がどうなったのか、確認できませんでした。
今日は同級生のS君にご教示頂いたコース。いつもの光石登山口から綱附森の登山路の方へ入り、稜線まで登ったところで綱附森とは反対側へ。尾根筋の、風は強いが心地良い道。しかし、進むにつれ、急坂に。最後は、すさまじい急坂を、しつらえられたロープを必死にたぐりながら登ります。そして「地蔵の頭」。
なんでこんな名前の山なのか。それは、後で遠くから眺めてわかりました。丸い、お地蔵さんの頭のような形の山。そして、そこを越えると、突然、眼の前に日本ではないような風景。
正面に標高1812mの天狗塚が見えます。地蔵の頭から天狗塚、そして天狗塚の向こうの稜線は、一面のクマザサ。この稜線は、広い。この山々の稜線は、非常に狭く、左右に急峻な斜面がある場合が多いのですが、ここはとても広い。庭園のような風情。牛の背というそうです。そうか。普通は、稜線は馬の背ですが、広いので牛の背。その名にふさわしい、広々としたクマザサの風景は、異国のようでした。
あの天狗塚を一気に越えると、眼下に広がる見事な牛の背。広い背中の部分に。こないだうちから降った雨が溜って、大きな池が二つできちょりました。まさしく庭園。三嶺、西熊山から天狗塚と繋がる山容が借景。いつもの三嶺もエイですが、こっち側も素晴らしいですね。
途中の谷間の登山路、雨で増水しちょって、沢登りのような場所もありましたが、原生林と谷の水音に囲まれ、ひとり静かに過ごす時間の尊さよ。
光石登山口から地蔵の頭まで、誰一人出逢いませんでした。逢うたのは、2頭の鹿だけ。しかしか逢わない静かな森。こんな時間を過ごすことの贅沢さを、しみじみ味おうて参りました。
朝6時に登り始め、8時過ぎに地蔵の頭。通常4時間くらいかかるコースらしいので、頑張りました。しかし、牛の背があまりに心地良いので、ゆっくりじっくりまったり過ごしてきました。
帰りは、稜線を三嶺の方へ進み、お亀岩から帰るルート。ながですが、地蔵の頭の下のところで間違うて、しばらく徳島側へと駆け下りてしまいました。かなり降りてから気付き、また地蔵の頭へ。なかなか良い運動になりましたです。増水した谷間を光石まで駆け下り、無事下山。
ところで昨日は、種田山頭火さんの命日やったそうです。松山市で最期を迎えた種田山頭火。終焉の地は、キレイに整備されちょります。
山頭火さんは、山の人。山で生活した、という意味ではなく、山をなにより愛し、山で過ごすことを愛した山頭火。その日記とかを読むと、山への思いが溢れちょります。同じ自由律俳句の巨人、尾崎放哉さんは海の人。海がなにより好きで、終焉の地も、小豆島の、海の見える場所でした。
そんな意味で言うと、小生は山の人かも知れません。一人で、山に抱かれて、鳥のさえずりと谷の水音だけに包まれるのが、なによりの楽しみ。
久し振りに、山の中でも特に好きな、大自然が横溢したこの山々に登りにきて、満足満足。さおりヶ原の公衆便所がどうなったかは、次の機会のお楽しみということに致しましょう。