高知の愛宕神社の石段、戦捷記念〔3831〕2013/10/11
2013年10月11日(金)晴れてきました
昨日の高知市内、32℃を超えたそうですねえ。湿度も高いので、蒸せたでしょうな。最終の飛行機で高知へモンて来ましたが、やはり東京よりかなり蒸し暑う感じました。
そして昨夜は、予想外にガイな風雨。いっとき、時化みたいに降りました。明け方までそんな雨が残っちょりました。が、その後、ちょっとづつお日様が照り始め、今日も暑うなりそう。ここは愛宕山。
高知の愛宕山。昨日、東京の愛宕山をご紹介しましたので、今朝は高知市の愛宕山にしてみました。東京の愛宕山は標高25.7mですが、高知市の愛宕山は標高40m。ちくと高い。どちらもてっぺんに愛宕神社。火伏せの神社として、街を睥睨できる高台に建立されました。
馬で駆け上がった武士で有名な、東京の愛宕山、男坂の石段は86段。かなり急峻な石段。高知の愛宕山の石段は、今朝、数えながら上がってみたら208段。標高差に比べて段々の数が多いのは、一段一段がナロいきですね。山の傾斜に合わせて、それほど急ではない石段がしつらえられちゅう高知の愛宕山。これっぱあなら、馬でも駆け上がれそう。
その石段の一番上がこの写真。両脇に石柱が建ちます。あちらの柱には「神徳八紘洽」。しんとくはっこうあまねし。その裏面には「高知市愛宕町二丁目 階段施工 畠中正夫」こちらの石柱には、「皇紀二千六百一年十二月八日 大東亜戦 記念」と刻まれます。ちなみにこちらの石柱の向こう面には「皇威万邦輝」。なるほど。神である天皇陛下の徳が、世の中に広く行き渡る、というあの時代だけの神話。皇紀2601年は昭和16年で、その12月8日とは、太平洋戦争が時始まった日。
この愛宕神社の階段を施工した際、大東亜戦争の戦勝を記念(祈念ではない)して建てた柱ということです。
そう。始まったときには、もう、勝ったつもりなのでありますね。
この手前の柱、「大東亜戦」と「記念」の間にかなり空白があります。そこには、「々捷」とあったにかありません。つなげると「大東亜戦々捷記念」。太平洋戦争の戦勝記念、という訳です。しかし、勝ちませんでした。
ので、「々捷」は塗りつぶされたがでしょうか。当時の世相、人々の雰囲気がわかってきます。少し哀しい、愛宕神社前の石柱。時代を覆う空気、世論、常識とされる考え方が、正しいとは限らない、時代に流されてはいけない、ということを教えてくれる戦争遺跡かも知れません。
この愛宕山、周囲は完全に住宅地。新しい住宅やマンションに包囲されてしまいました。しかし、昨日の東京の愛宕山のように、山の中には静かな自然と幽玄な神社がそのまま。日本では、太古の昔から、神は、自然の中に存在し、自然とともにありつづけてきました。それが、日本の神。日本だけに特別な神があって、それがこの世の中を支配し、覆うなどという人間の思い上がりは許されなかったのでありました。