大正14年の高知市水道局ポンプ舎〔3829〕2013/10/09
2013年10月9日(水)台風一過!
今朝、5時頃、会社に到着した時間帯は、まだ、時化でした。強風と、時折大粒のガイな雨が叩きつけてくる、時化。時化と書いてしけと読むがはどうしてでしょうか。
それはともかく、そんな時化模様も、6時を過ぎると穏やかになり、そして、アッという間にお日様ギラギラ。台風一過と言うと、もうちっと爽やかな感じ。今日は、もう、お日様はギラギラで大気に水分が満ち、不快指数満点。この季節にこんなに蒸し暑いがも珍しい。お日様の下をちょっと歩くだけで汗が噴き出してきますな。
ここは、そんな、お日様ギラギラの旭。旭小学校のちょっと東。このもうちょっと東に蛍橋があります。電車通りは、一段高い所を走り、電車通りの北側は数メートル下がって小川。江ノ口川の上流。その小川の南、石垣を積み上げたその上に、瀟洒な建物があるがはご存知ですよね。コンクリート造りの不思議な洋館。現在は旭西部公民館として利用されゆう、お洒落な建物。
他の周辺の建物と同じ高さではなく、一段高い、電車通りと同じ高さに建ちます。たぶん、この石垣の丘は、人工的にわざわざ築かれたものやと思います。何故か。
それは、たぶん、この建物の中にあった施設の用途に由来します。
この建物は、大正14年に建てられた、高知市水道局のポンプ舎やったがやそうです。そう言えば、このしゅっと北に、旭の浄水場がありますねえ。鏡川からここのポンプで川水を吸い上げ、浄水場へ供給しよったがでしょうか。
で、その為、浄水場の海抜と同じ、もしくは高いくらいの場所にポンプを設置する必要に迫られ、こんな人工の丘をこさえたがではないかと、勝手に妄想しよります。
それにしても、瀟洒。こちらは、電車通りに面した方の風景。北側からスロープがあって、建物に入れるようになっちょります。
建物中央の上。少し突き出た部分に、あの六角形の高知市のマークがドン。そのマークだけが、この建物が高知市水通局のものであったことを偲ばせます。
こっから北の浄水場には、こじゃんとお洒落な洋館が、今も現役。その建物も、大正14年ですき、この建物と同時に建築されたがでしょうな。
こっから西へ行くと旭小学校。その建物は新しいものですが、運動場の南側の正門は、昔のものがそのまま残されちょります。丸みを帯びた、かなり洒落たデザイン。第六小学校の門とも似いちょりますので、建てられた当時、そういったデザインが流行っちょったものと思われます。調べてみますれば、そのお洒落な門ができたのは昭和2年。大正15年と昭和元年は一緒ですき、このポンプ舎が建てられた翌々年ということになります。
こないだ、旧営林局の正面玄関脇にあった装飾柱をご紹介しました。総工費の2.3%が、玄関のたった2本の柱に使われた、という話。その建築は、大正5年。
う〜ん。どう考えても、当時の公共の建物は、リグっちゅう。今なら、こんなところで無駄遣いされている我々の血税!などと週刊誌で叩かれそうなくらい。それが良かったか悪かったかは別にして、今に残るこういったお洒落な建物は、立派な文化遺産として、大切にしていきたいものです。
将来、今建てられゆう建築物が、「これは文化遺産として残しちょきたい!」と思えるようなものになるかどうかを考えてみると、それが今をときめく有名建築家の手によるものであったとしても、甚だ心もとない気がするのは、私だけでしょうか。
奇抜なデザイン、ビックリするような先鋭的なデザインと、後世に残しておきとうなるような素敵なデザインは、違う、と、つくづくしみじみ思う今日この頃です。