日本人の色彩感覚と神社〔3827〕2013/10/07
2013年10月7日(月)晴れたり曇ったり
霧雨が、秋の空気を湿らしています。台風の影響でしょうか、降ったりやんだり、そして時折照ったり。気温は高め。今日も蒸せそうです。
ここは、朝5時前の野市、上岡八幡宮さん。参道入り口。両脇には文化年間の古い燈籠や、万延元年の狛犬などが並びます。空からは霧雨。街灯に照らされて、幽玄きわまりない風景。
幕末から明治初期、日本を訪れた外国人は、一様に、日本の風景について、口を極めて賞賛しちょります。フジヤマを初めとする自然景観もそうですが、日本人の、街づくりや服装に関する美意識も、実にセンスが良い、と褒めちぎっちょりますね。他のアジア地域に比べ、色彩が地味で、地味なだけではなくセンスが良い、という訳です。
これについては色々と意見もあるでしょうが、ヨーロッパ文明に浸った人々から見て、原色を使わない、落ち着いた色合いが感覚に合うたのでありましょうか。
日本でも、織豊政権の時代など、豪華絢爛であったとされます。日光東照宮とかもギンギラギン。しかし、京都の東山文化に見られるような、地味で落ち着いたものもあります。歴史を鳥瞰してみると、概して、渋いセンスを好むにかありません。
幕末に街や服装の色彩は地味やったのは、幕府が再々出した奢侈禁止令によるもの、という説がありますけんど、元来の趣味の問題であるような気がします。
こういった地方の神社、田舎のお宮さんは、色彩はいたってシンプル。原色は基本的に使わない。そもそも、素材の色をそのまま使うことが多く、ペイントしたりしませんきんね。この狛犬や燈籠が、白や金、赤を使うて塗られちょったら、ちくと興醒め。そんなんぢゃあご利益がなさそうに感じたりしてしまうのは小生だけでしょうか。
飾らない、素材そのものの色彩が大自然の中に溶け込み、一体化する。そこに、神性を感じるのは、我々にとって極めて自然なことと思うのであります。日本人の自然観、宗教観のようなものがここにある、と言うたらオオゲサでしょうか。オオゲサです。
話は変わります。
こないだ、10月になってから、葛島などの交通表示板のコメントが標準語の普通のがに戻っちょって、ちょっと残念、てなことを書きました。ほいたら。
3日くらい前からでしょうか、土佐弁バージョンに戻っちゅうではありませんか!
スマホはしのべちょきよ
いられ運転はいかんちや
の2種類。高知県警、なかなかやります。こればっかしぢゃあのうて、土佐弁バージョンがもっと増えることを期待します。例えば。考えてみました。
違法駐車はマギるし危険!
セイたちいかん! 時間はメッソ かわらんき
おんちゃん ライトは点けちょきや
二人乗りはイカン言うたろがね!
高知県警さん、採用してくれんですろうかね?