歴史を刻んできた楽屋〔3826〕2013/10/06
2013年10月6日(日)曇り
昨日はよう降りましたね〜。しかも暑い、蒸せます。そんな中、高知市内では種々の催し事。昨夜は、小生も、遅うまで飲みに出ちょりましたが、なんと最後にカレーうどん。なんということを、酔いに任せてしでかしてしもうたのでしょう。少々運動してもすべてが台無しになってしまうという、寝る前のカレーうどん。う〜ん。
こんな時間からカレーうどんっすか?と文句を言いよったら、おまんは早朝から築地でホルモン丼とか食べゆうぢゃいか、というご指摘。それはそれ。これはこれ。
で、今日はホントは山をたつくって、カロリーをぐっすり消費せんといかんところですけんど、今日も、ある催し事のお手伝い。今、県民文化ホールの楽屋に居ります。別に出演する訳でもなんでもないですが。
しかしここ、文化ホールの楽屋、どれっぱあ使うたことか。小生の歴史を刻む、文化ホールの楽屋。
高知県民文化ホールが竣工したのは1976年9月となっちょります。昭和50年。中学校2年の秋。こけら落としN響、ローエングリーンの美しいバイオリンの響きを、今でも覚えちょります。高知に初めてできた本格的ホールでございました。
で、この楽屋を初めて使うたがは、その翌年、中3の春。中高一貫校やったので、その中高生一緒になった吹奏楽部のコンサート。いやあ、広い、でかい、キレイ、というのが、こじゃんと印象的でした。
ホールの担当のおんちゃんに、結構ガイに叱られながら舞台設営をやったことを思い出します。
文化ホールができるまでは、そのコンサートは、高新ホールでやりよりました。文化ホールのオレンジホールが1500名収容で、それまでの高新ホールは1000も入りませんでした。今考えると、かなり狭い。楽屋も、ステージ脇のスペースもせんばい。ようあんな所でやりよりました。
そう言えば、吹奏楽コンクールは、城東中学校の体育館でやりよりました。今からは考えられんですな。
高新ホールができたがはいつやったでしょうか。文化ホールができる数年前でしょうか。高新ホールができるまでは、その吹奏楽部のコンサートは中央公民館でやりよりました。お城の下、現在、丸ノ内緑地と呼ばれる広場にあった、中央公民館。あれはボロかった。椅子の背中は固いし、とにかく古かったです。
演奏会などは、その中央公民館か、農協会館でした。農協会館のビルは、今も県庁前にあります。
さて。
この楽屋、中3の春のコンサート、夏のコンクールと使用し、段々慣れてきます。それから何度使うたことでしょうか。
高校を卒業するときに、他校のバンドとかと誘い合わせてコンサートをやりました。ロック、フォーク、そしてフュージョン。いや、フュージョンという言葉はなくて、クロスオーバーとか呼びよった時代。小ホールであるグリーンホールでやったので、使うたのはグリーンホールの楽屋。
その時やったかどうやったか、オレンジホールでは甲斐バンドのコンサート。グリーンの楽屋で、オレンジホールのリハーサルの様子が見れまして、甲斐よしひろが色々と指示を出しゆうがを、指をくわえて眺めよったことを思い出しました。
それからも、社会人になってからも、様々な局面で使うてきたこの楽屋。
高知の老舗のジャズ喫茶「木馬」のマスターが亡くなったとき、その追悼コンサートをオレンジホールでやって、ここを使いました。4人編成やったでしょうか。ゴリゴリのジャズを、コンボで、こんな大ホールでやったがは、あれが最初で最後かも知れません。
ビッグバンドでは、かなり使いましたが。
そんなこんなを思い出させてくれる、県民文化ホールの楽屋で、今日のにっこりを書きよります。