國澤喜代馬さんの謎〔3817〕2013/09/27
2013年9月27日(金)快晴!
秋晴れ。寒いくらいの朝。昨日も走って帰ったので、今朝も自転車出勤。
2日続けて、南国の会社から走って帰ったので、昨日はさすがに自転車で帰ろうかと思いよりました。今週は珍しく夜の会合が少ないのであります。
ところが。昨日、お昼ご飯の後、会社の冷蔵庫にあった羊羹を、ついつい食べてしまいました。今週はスペシャルダイエット週間なので、食べた後で後悔。仕方無いので、自転車で帰るのをやめて、またまた走って帰ることにした秋の夜。
同じようなルートでは面白うないので、昨夜は南回りコース。会社から国道へ出ちょいて、空港滑走路の下を抜けるトンネルを通って前浜へ。前浜は、海岸の砂丘上の道の両脇に広がる町。その砂丘上の道の、もうひとつ南、海に一番近い小さな道が、走りやすいのであります。勝手に浜通りと名付けたコース。
この道、真っ暗。もちろん家も建っちょりますが、お墓も多い。集落と集落の間の、何もないところでは、ホントに真っ暗になります。空の星が、すごい。そのクリアさは、天の川がほんのりとわかるほど。正面に、沈んでいく金星を眺めながらのロマンチックなRUN。
浜改田を通り抜けよって、道路脇に、狛犬と鳥居の痕跡が現れました。街灯があって、その狛犬だけが浮かび上がった風景。北には琴平山と琴平神社が鎮座ましますので、その狛犬、鳥居でしょう。で、その台座に刻まれた名前に、ふと、目が止まりました。國澤喜代馬さん。右側の狛犬の台座に、昭和15年10月のご寄進であることが刻まれます。う〜ん、どっかで見たことあるぜよ。たしか・・
てな訳で、今朝の写真は、高知市内、桜井町の多賀神社さん前。自転車でちくと寄ってみました。中央病院が有る頃は狭い道でしたが、今は広い道路。右手が愛車「白い折り畳み号」。
この写真の左側の柱。これに、「長岡郡新改村東川 國澤喜代馬」と刻まれちゅうではありませんか。右の柱には昭和16年12月とあります。やっぱし。
同じ人物でした。長岡郡新改村の國澤喜代馬さん。土佐で國澤さんと言うと、維新期に、函館戦争などで活躍した後留学生としてロンドンに趣き、洋画を学んで日本の洋画界の先駆けとなった國澤新九郎さんをしゅっと思い浮かべますよね。しかし、この國澤さんは、関係ありませんでした。こんなにあちこちのお宮さんに狛犬や鳥居をご寄進しちゅうということは、かなりの実力者であったことは間違いないでしょうが。全然関係なさそうな二つの場所で同じ名前を発見、それに気付く、というのも、なかなか楽しゅうございます。
土佐で國澤、と言えば、国沢将監さんも居ましたねえ。戦国期、現在の堀詰、堺町界隈に国沢城を築いて支配しちょった国沢氏。関係無いかも知れませんが。
ここ多賀神社、通称おたかさん。このお宮さんは、かなり多くの氏子さんを持つようです。元々、山内一豊さんが近江の多賀神社を信仰しちょって、土佐へやって来てから長浜に勧請。明治になって、現在地のちょっと西に遷座、そして明治13年に、この場所に遷ってきた、とされます。ご祭神はイザナギ命さんですね。
この西隣に戦前にあった城東商業学校が、戦後、城東高校になり、高知高校となって、昭和32年に旭の方へ移転して行った訳です。そんな話を、以前、Facebookに書いたら、高知高校の応援歌に「おたかの杜の神主が〜」という歌詞がある、と、教えて頂きました。なるほど。
夜明け前、静かな静かなおたかの杜での小さな発見でした。