神戸朝RUN、アゲカレーうどん、石椋、松王丸くん〔3809〕2013/09/19
2013年9月19日(木)神戸の朝も心地良い
そんな訳で今朝は神戸。昨日、汽車を乗り継いでやってきました。量販店さんの協会の総会、懇親会ということで、ホテルの会場と二次会の会場へ行っただけ。神戸の街を楽しむまではいっちょりません。そこで。
今朝は港のホテルを5時半に出て、西へ。かつて、大輪田の泊があった界隈へとたつくりに行っちょりました。暑くもなく、心地良い神戸の朝RUN。
西進すると、高田屋嘉兵衛ゆかりの七宮神社さんの前を通り、そして神戸市中央卸売市場へ。東京出張では築地RUNにハマっちょりますので、神戸の市場にも美味しいものがあるに違いない、という予感のもと、期待に胸を膨らませて走ってきました。
飲食店は、2009年にできたという中央棟の2階に集められちょります。ちょっとこぎれい過ぎて、違和感はありました。市場の食堂は、もっと猥雑な感じがエイがでsけんど。
で、海鮮丼のような海の幸の食堂も開いちょりましたが、嗅覚が働いたのは、丸石といううどん屋さん。吸い寄せられるようにお店に入り、メニューから、勘を働かせてアゲカレーうどん。おいしかったです。常連さんの会話から、ぼっかけカレーうどんが名物らしいことはわかりましたが、おアゲを細く切って乗せたカレーうどんも、こじゃんと美味しかったです。朝っぱらからごちそうさまでした。
で、本来の目的の大輪田の泊の痕跡探索。
その、中央卸売市場の北、運河を挟んで対岸の風景がこの写真。左端に大きな石が見えます。これが、大輪田の泊の痕跡。
大輪田の泊は、行基上人が開いた5つの港のひとつとされますが、とにかく、古くから良港として整備され、栄えた港。
この石は、昭和27年に運河浚渫工事で発見された20数個の巨岩のひとつ。一つが4Tあるそうです。最初は、平清盛が築いた経ヶ島の一部と思われちょりましたが、その後の発掘で、この石が出土した場所(この写真からはとっと西)は海の中であったことがわかり、古代大輪田泊の石椋(いわくら)の石材であった、ということがわかってきた、と、説明板には書かれちょります。
石椋とは、石を積み上げて堤防や突堤の基礎にした石のことにかありません。ケーソンみたいなもんでしょうか。
その後、大輪田泊は、平清盛さんによって大改修、整備が行われたがはご承知の通り。福原に都を遷そうとしたばあですきんね。この港を貿易港とし、海外に開かれた都市を形成しょうとしちょったがは明らか。
その大改修工事の際、皆の身代わりに人柱になった17才の少年、松王丸くんの哀しい話は有名。その松王丸くんを供養すべく、多くの人々はお経を海に投げ入れたので経ヶ島と呼ばれるようになったという伝説もあります。
その、松王丸くんの供養塔が、この写真、石椋から海岸を向こうへ行った左手の来迎寺さん、通称築島寺さんに建てられちょります。
古(いにしえ)の、人々の営みが見えてくるような気がする、朝の神戸。今朝は時間がなかったので、ゆっくりたつくれませんでしたが、一度、じっくりまったり走ってみたいエリアです。
ハイカラな神戸と、歴史溢れる神戸は、魅力的に綯い交ぜになっちょります。