ブラスチング ピーニングマシンの謎〔3806〕2013/09/16
2013年9月16日(月)敬老の日は台風一過
台風一過。キレイな青空が広がります。台風は、今、本州を東へ進みながら各地に被害をもたらしていきよります。高知は、風雨もたいしたことありませんでした。
昨日の高知街ラ・ラ・ラ音楽祭、最後まで、何事も無く、無事、開催できました。ありがとうございました。良かった良かった。けんど、雨でした。
最初っから最後まで、しっかりした雨脚で、ずうっと降り続けました。アーケード内の会場とかは良かったですけんど、そうぢゃあない会場で演奏された皆さん、お疲れさまでした。雨の中、ホントにご苦労様でした。それでも、時折ガイに降る雨の中、傘を差しても濡れる状態でずうっと観て下さったお客さんには頭は下がりますです。ホントに有り難かったです。
今朝は後片付け。とは言え、昨夜、葉牡丹での打ち上げまでにあらかた会場の撤収は終えちょったので、今日は備品を洗浄したり乾かしたり片付けたり、という用事。午前中にはそれも終わり、疲れた身体を癒しに、近場へ走りに行ってきました。五台山。
木陰は涼しい風が吹き、美しい緑のなか走るがの心地良かったこと。年間パスを持っちゅう牧野植物園へも入場し、初秋の草花を愛で、お馬さんがセッセと純信さんの元へ通うたとわれる小径を下って長江集落へ。そっから、五台山の北麓を西進。
その、北麓の道の途中に、このオブジェは鎮座しちょります。倉庫の前に、そのまんま放置されちゅう機械。もう、いっつも気になって気になって。
何故か惹かれるこのフォルム。いかにも「機械」という雰囲気が満ちあふれ、すごいものを生産してくれそうな、そんな機械。いったいこったい何の機械なのか。この界隈は農家ばっかし。ですきに、この機械も、農業関係の機械ながやろうと、勝手に思い込んじょりました。しかし、真相は、そんな単純なものでは無かったのであります。
この機械に貼付けられちゅうプレートを読んでみます。
マイン ブラスチング ピーニング マシン
製造年月 昭和40年3月
日本金属粉末株式会社
東京・流山
なるほど。なんぢゃそりゃ。で、ネットで、この日本金属粉末株式会社というのを検索してみました。元々、昭和8年に千葉県流山で創業したグリッド商会が起源で、その後日本鋳工株式会社となり、国産で初めてのブラストマシン・ピーニングマシンを製造。しかししかし、業績好調の中、経理の手違いで黒字倒産。で、幹部社員が中心になって昭和33年に再建されたがが、このプレートに刻まれた日本金属粉末株式会社ながやそうです。
そして、昭和41年に日本鋼管が資本参加、昭和46年に日本ブラストマシンと社名変更。紆余曲折があって、現在はJFEメカニカルという会社になっちゅうがやそうです。まあ、それがどうした、という話ですが。
それよりも、この、ブラストマシン・ピーニングマシンというのは何なのか。他社になりますが、似たような名前の機械がありまして、その用途にはこう書いちょりました。錆やバリ落とし、塗装の前処理、部品表面の機械特製の改善、金属内部応力の除去。
そうか。金属粉末という社名にもあるように、たぶん、金属の粉末を利用して機械の研磨みたいなことをやる機械ながやないろうかと妄想されます。
全然、農業関係の機械ではなかった。それでは、何故、こんな五台山の麓の倉庫の前に、そんな特殊な用途の機械が、たぶん数十年も放置されちゅうのか。謎は深まるの晩夏のRUN。楽しいですね〜
台風一過の青空の下、何を探求しゆうのやら。失礼致しました。