空港、白菊部隊、お地蔵さん〔3782〕2013/08/23
2013年8月23日(金)お暑うございます
今朝は高知。昨日、東京から高松へ飛び、夜、汽車でモンてきました。東京は、ちくと雨が降ったりして涼しゅう感じましたが、高松も高知も暑いです。昨夜がこれまた暑かった。最近、早朝は涼しゅうなりかけちょったので、こたいました。朝まで扇風機。
さて。ここは今朝の南国市久枝。空港の南。小生の左に、空港の管制塔が見えよります。この前の道路は、桂浜、種崎から十市と海岸沿い、そして浜改田、前浜の砂丘の北側を通り、物部川の河口へとつながる道。結構交通量も多い道路です。その道路からは、生垣に隠れて見えんなっちゅう、お地蔵さんをご存知でしょうか。このにっこりでも何度かご紹介してきました。
道路の向こう側には、戦争中、ここにあった海軍航空隊白菊部隊の鎮魂碑。
現在の空港滑走路のところに、標高28.2mの室岡山、地元では「命山」「宝山」と呼ばれた小山があったことは、何度も何度も書いてきました。海軍が飛行場を建設するのに邪魔になり、取り崩された山。過去の南海地震津波や大洪水の際に、たくさんの住民の命を救うてきた山。
その山の南面に、久枝八幡宮さんが鎮座ましましちょりました。野市、上岡山に上岡八幡宮さんが鎮座しちゅうように。飛行場建設に際し、現在の三島神社に遷座され、その痕跡の鳥居の扁額があることも、以前書きました。
南路志によりますれば、命山南麓、久枝八幡宮の西隣に、室岡山宝積坊福楽寺というお寺さんがあったそうです。前浜、正興寺の末寺。で、地蔵菩薩をご本尊としちょったそうです。
そのお寺さん、宝永4年(1707年)の宝永南海地震津波で流されたとあります。山の麓にあったので。その後、小字宮の前に移されちょりましたが、明治4年に廃寺になりました。
この、生垣に囲まれちゅうのは地蔵菩薩。台座には文久3年の銘が刻まれ、この立派な燈籠は、その1年前の文久2年。龍馬が脱藩した年。ひょっとしたら、宮の前に移設されちょった福楽寺さんに関係があるがでしょうか。そうとしたら、かなり苦労をされてきたお地蔵さんということになります。
津波で流され、廃仏毀釈で廃寺になり、残った痕跡も、海軍航空隊飛行場建設で移設させられた、ということでしょうか。
しかしそこは地蔵菩薩です。
お地蔵さんの左手に、「六道能化に身をやつし 苦海にしづむ我等には たすけ給へる地蔵尊」と刻まれた石板。
六道で苦しむ衆生を救うお地蔵さんは、人々に代わって艱難辛苦を背負うてくれゆうがでしょうか。
車で通ると、なかなか気付きにくい、生垣に囲まれた、立派なお地蔵さん。