土電会館はシネコンの嚆矢であった〔3780〕2013/08/21
2013年8月21日(水)晴れ
それにしても、暑い。昨夜、ちょっとだけ降ったにかありませんが、焼け石に水程度。そろそろ雨も欲しいですな。
夜明け前、東の空を見ると、オリオン座と冬の大三角形がクッキリ浮かび上がっちょります。真夏のオリオン。夜明け前の空にはもう冬が訪れゆうというのに、暑いこと暑いこと。
さて。昨日のにっこりに、吉川村出身の海軍中佐、松木益吉さんのことを書きました。海軍兵学校37期で、終戦近くに中将。同期の海軍中将で、有名な人物を探してみると、小沢治三郎。最後の連合艦隊司令長官ですな。結構負けた戦が多いですが、アメリカ側も認める非常に有能な指揮官であったようです。人物が立派で、イケイケの精神論派とは一線を画した提督。終戦時、部下を率いて特攻していった宇垣纏を命令違反であると断じちょります。
で、海軍兵学校37期と言えば、最後の海軍大将、井上成美さんがおりますねえ。海軍きっての理性派で、国力がないのに戦争へと突き進む陸軍や海軍の強硬派に、決然と対抗した姿には、今でも非常に評価が高い提督。
吉川村の松木中佐は、このようなひと達と一緒に学んだ訳ですな。
全然話は変わりまして、ここははりまや橋。この、パチンコ屋さんのところには、以前、西武百貨店がありました。そのデパートは、西武になる前は土電会館。昭和33年にできた、高知では2つ目(1つ目はもちろん大丸)のデパート。
昨日、このにっこりをお読みになった、高知の歴史研究家の方にご指摘いただいて、そうか、と思いましたが、非常に先進的な商業施設でありました。
映画館が、土電ホールとテアトル土電。バスターミナル併設。屋上にはもちろん遊園地。複合娯楽商業施設として、当時としては全国の最先端をいったものでしょう。
商業施設に映画館が複数併設、と言えばシネコン。シネマコンプレックス。土電会館は、シネコンの嚆矢やったのでありますね。
もし。
もし、今もあそこが百貨店で、映画館とバスターミナルがあったら。映画館がシネコンと称するようになっちょったら。かなり、高知のヒトの流れも変わっちょったかも知れません。高知市も、九反田のかるぽーとから西武のあるはりまや橋、そして中心商店街へとつながる街づくりを考えちょった節があります。
土電会館のときの様な発想で、最先端をいく複合商業娯楽施設を目指したら、もう少し違う高知になっちょったかも知れない、という妄想です。
今、ヨーロッパなどの歴史ある街の街づくりの中心は、街中。街中にヒトが住み、そして賑わいを創出し、歴史と文化と商業を融合させた、街づくり。
日本は、一度、郊外を中心にしてしまいましたが、人口が減少していく時代の流れの中で、これからどうなっていくのか。
街中の賑わいを取り戻す可能性は、世界の流れを見よったら、無い訳ではないと感じます。しかし、それには、先人のような、すごい発想と努力が必要であることは言うまでもありません。