68年前の指揮所〔3774〕2013/08/15
2013年8月15日(木)終戦記念日
68年前の今日、長かった戦争が終わりました。
ここは、高知空港の北側。高知大学農学部に沿うた道路脇。右端が、最近拡張工事が行われた道路で、左の柵内が高知大学農学部の農場。今朝も、土佐あかうしがたくさん、優雅に草を食みよりました。
この、農場と道路の境界フェンス脇に、かまぼこ型のコンクリートの構築物。これ、以前にもご紹介しましたが、戦争の痕跡。
高知空港は、太平洋戦争後期につくられた、高知海軍航空隊の飛行場に由来します。高知海軍航空隊は、「飛練」の施設としてつくられました。「飛練」は、予科練を卒業した若者が、実際に飛行術を身につける訓練を行うところ。で、ここで、練習機「白菊」に乗って、訓練をしておりました。
しかし、戦況の悪化に伴い、このスピードの遅い、戦闘用でもなんでもない練習機とその練習生たちが、神風特攻隊に編入されていき、たくさんの若い命が南の海に散っていった、という話は以前にも書きました。
現在の高知空港、高知大学農学部、高知高専は、その跡地にできた訳で、一昨日も書いたように、たくさんの戦争の痕跡が残ります。一番目につくのが、このコンクリートではないでしょうか。ここを通る際、皆さんも、見た事があると思います。
これは、航空隊の「指揮所」壕の跡と言われちょります。たぶんこの地下にトンネルが掘られ、コンクリートで固められた部屋があるがやと思います。
入り口らしきものが見当たりません。小さい穴のような部分がありますが、あそこから入っていくがでしょうか。一度、キチントした調査をしてもらいたいところです。
68年前、ここで、白菊特別攻撃隊とも称された特攻隊の訓練を行い、鹿屋に移動して、沖縄方面へと特攻に出撃しよった、その航空隊の指揮所の痕跡。
この白菊特別攻撃隊と高知海軍航空隊のことを、元兵士にも取材して、丁寧に書かれた本があります。三国雄大著「高知海軍航空隊 白菊特別攻撃隊」。群青社から出版されちょります。
この本で、昭和20年8月15日頃の様子を見てみます。
沖縄へ特攻すべく、鹿屋に移動しながら、作戦変更等があって2回も高知へ戻ってきた第一飛行隊。その飛行隊に、8月13日、3度目の出撃命令が下りました。高知を出る予定は8月17日。
で、近在の民家を営舎としちょった隊員達は、その、武市さんの家で最後のお別れ会をやりました。8月14日夜のことです。
翌、15日、掩体壕で機体点検作業を終え、午後2時頃、宿舎へ戻りよりますと、道路で擦れ違う住民が「兵隊さん、日本は負けたよ」と、教えてくれた、と、この本には書かれちょります。
混乱の8月15日。軍としては、どんな対応になるのか、まだ誰もわからなかった8月15日。仕方ないので、沖縄へ特攻して死んで行こう、などという議論もあったようです。しかし、最終的には、粛々と、戦後の処理へと向かうことになった、暑い夏。
ここに戦争があったことを認識し、多面的な歴史を勉強し理解しておくこと。知りたいことだけを知るのではなく、すべてを客観的に見て、冷静に判断する力。一番危ないのは、歴史を、自分が見たい部分だけ見て、知ったようなつもりになってしまうこと。
そんなことを考えさせられる8月15日。