杓田、赤鬼山、朝倉城、鏡川〔374〕2004/04/24
2004年4月24日(土)快晴ですね
今朝も爽やかに晴れ上がりました。夕べは少し冷え込みましたね。最近夏のような暑い日が続いておりましたが、今日は、晴れちょりますが少し冷たい風が吹いて爽やかなお天気になっちょります。
今日も鏡川を遡行、鴨や大きな魚やたくさんの鳥たちの姿を楽しみながら川縁を快調に走って来ました。天神大橋から柳原橋をくぐり、月の瀬橋、新月橋を抜けると、河川敷の広い公園のような河原に出ます。この辺りは緑も豊かで、気持ちいいですね。鏡川橋を通り過ぎると川は右に曲がっていきます。JRの橋をくぐると、「米田橋」が見えてきます。
写真の右下に写っちゅう橋が米田橋。この辺りの川の左岸には小高い山が連なっております。その山の上は戦後間もなくから宅地化されちょりまして、現在も素敵な団地になっちょります。今日は、始めてこの「上本宮町」の団地に登って来ました。とても見晴らしの良いところでした。写真正面右手の山は「赤鬼山(あかおにやま・あかぎやま)」。この麓に「朝倉神社」という古い神社があり、そのご神体がこの赤鬼山なんだそうです。山全体がご神体なんですね。
左端の山は、戦国時代に本山氏の本拠となった「朝倉城」の城山ですね。本山梅慶の代に勢力を拡張し、四国山中の本山からこの朝倉へ進出してきて、一時は土佐の覇権を狙いました。
今朝登った上本宮町界隈は、当時杓田村(ひしゃくだむら)と呼ばれ、この近くの「杓田城」を根城とする大黒氏によって支配されちょりました。目の前の山に実力者本山氏が出てきたので、一時は本山氏傘下に入りますが、その後、本山氏打倒の兵を起こした長宗我部元親に降伏、長宗我部方のために活躍したのだそうです。その功績で、この杓田一帯の領有を長宗我部から許されたそうであります。