雨の与島〔3718〕2013/06/20
2013年6月20日(木)雨
梅雨前線が南下してきて、高知は雨にかありません。台風も来よります。今日から明日、気を付けんといけませんね。そんな中、早朝から会社を出まして岡山方面。で、用件を済ませ、福山の方へまわってみろうかと国道2号線を西進しよりましたら、早島インターチェンジの手前にある表示板に、玉島〜福山西が雨のため通行止めなんぞと書いちゅうではありませんか。メッソ、雨も降りやあせんかったので予想外でした。
山陽道を走る車が全部国道2号線へ降りてきちゅうということは。これは、福山までどれっぱあかかるか想像もできん。と、いうことであっさり諦め、瀬戸大橋を通って四国へイヌることにしました。
お昼、瀬戸大橋の途中にある与島へ。で、サービスエリアの駐車場に車を停め、ちょっとだけ与島の集落を歩いてきました。雨の中。
以前、瀬戸大橋からも与島の山の中腹に見える天津神社さんにお参りに行ってみろうと、同じようにサービスエリアの駐車場から歩いたことがあるので、もう、島の地理は大体把握しちょります。
自動車の通れる道路は、ほぼ、島の外周をまわるくらいだけ。島の中の集落には、このような狭い小径がクネクネと走ります。もちろんアップダウンもかなり急。これが、昔ながらの島の風景。ちょっと、懐かしゅうなるような、瀬戸内海の離島の風景。今から25年前に瀬戸大橋が開通し、島の生活は劇的に変わったでしょう。しかし、こうやって集落はなにもなかったように美しく佇みます。
それ以前と違うのは。こっから反対側を振り返ると、巨大な橋。24時間、自動車や汽車、電車が走る音が聞こえ続けます。
集落内にある家々も、よくみると、空き家も結構あります。そして、この小径をずうっと登っていった先にあった小学校。この写真の突き当たり、丘の上の建物は、小学校の体育館やったにかありません。
ネットで見ると、2008年に、与島中学校が廃校、とありますが、与島小学校は廃校リストにはない。どうやら、小学校は休校、ということにかありません。あの学校建物の横を自動車道路が通っちゅうがですが、「与島小学校前」というバス停がありました。
現在の島の人口は100人そちこちでしょうか。なかなか、小学校とかは成立ちにくいでしょうねえ。もちろん高齢化も進んじゅうでしょうし。
良質の石が採れるがでしょう、以前は、採石で、かなり豊かであったにかありません。それは、島に鎮座まします天津神社の、立派な玉垣や燈籠からも想像できます。文政年間の立派な燈籠もありました。
島には、この写真手前のような井戸があちこちにあります。昔から、井戸を掘って水を確保してきたがでしょう。狭い島では、水の確保も大変やったと思われます。
離島のことを、色々考えさせてくれる与島。素晴らしい、日本の島の原風景をそのまま見せてくれる与島。この美しい風景を、観光に活かそうと思えば、たぶん、できます。しかし、それが島にとって良いことなのかどうなのか、それは、わからない。本当にわからない。
一度、島の中を歩いてみてください。サービスエリア駐車場の南端から、小丘を越えると、小径が大橋の下をくぐるように下っていき、集落へつながっちょります。そこを歩くと、日本の美しい風景と、日本が抱える問題とが、そのまま身体に押し寄せてきます。答えは、なかなか出せません。