最後のエチオピア饅頭〔3697〕2013/05/30
2013年5月30日(木)曇っちょります
今朝は野市。エチオピア饅頭であまりにも有名な近森大正堂さんに並んできました。新聞にも載っちょったように、この名店、今月で閉店となります。つまり明日まで。
このエチオピア饅頭は、まず、大きさがエイ。一口サイズ。で、風味もなかなか絶妙。名前のインパクトも強烈。しかし、先月ご主人が亡くなり、後を引き継ぐ方もいらっしゃらないということで、惜しまれながら閉店となります。
その惜しまれ方は、もう、すごい。
9時開店ですが、それまでにずらりと車が並び、何十人もの列が。。毎日完売が続きよりますので、はように買わんと手に入らん状態。一人3箱まで。
ご承知とは存じますが、ここでおさらい。
何故、エチオピア饅頭というのか。お饅頭の箱に入っちょったしおりに書かれちゅう文章を転載しちょきます。
エチオピア饅頭のしおり
大正八年、近森大正堂創業の地、高知県香美郡の野市町一帯は、白下糖と呼ばれる黒糖の特産地でした。
初代店主はこの白下糖に加味工夫し、黄まんじゅうを製造し「のいち名物」として発売し、その素朴な風味は、広く親しまれて居りました。
十数年後、エチオピア大国はイタリアの侵攻を受けましたが、エチオピア軍は勇敢に迎えうち苦戦のうちにも撃退する事が出来ました。このニュースに非常な感動を受けた主人は、このエチオピアの名を敬意と賞賛を込めて、愛するまんじゅうに名づけ「エチオピア饅頭」と改めたのでございます。
初代店主のエチオピア国への思いは、約六十年後の平成八年十二月、駐日エチオピア大使アーメット・マハディー大使とザイナバ夫人の訪問を受け、エチオピア饅頭をエチオピア国より公認し支援をして頂きました。
主人敬白
以上。もちろん、饅頭が黒糖を使用しちゅうので少し色が黒いところから、黒人の国であるエチオピアを連想したのでしょう。今となっては差別的な感覚かもしれませんが、当時としては、ホントにエチオピアの敢闘を讃えてのネーミングやったと思います。
エチオピア饅頭で思い出すエピソードが一つ。
M三兄弟の末弟の話。M三兄弟の長男は、小生と、中学高校と同級生。今でも仲良し。次男は後輩で、紆余曲折の末、現在は弊社企画室長。そして末弟、三男。家業の、筍の水煮とかの真空パックや缶詰をつくる会社の後を継いで、立派に経営されておられます。
我々が高校の頃、当時小学生であった末弟の話を、長男から聞かされました。
「兄貴、エチオピア饅頭が、なんでエチオピア饅頭というか知っちゅうかえ?」
「なんでぜえ?」
「龍河洞に遺跡があるろがよ。あそこに住みよったががエチオピア人やったきよ。」
「どういてエチオピア人とわかったがで?」
「それはにゃあ・・」
ああ、こっから先は書けません。オオヤケの場では書けません。
この会話、ホントに、真面目に交わされたそうです。すごい。龍河堂に住みよったががエチオピア人という発想。だいたいからして、近森大正堂さんは野市で、龍河堂は山田やし。
しかし、こういった思いきった発想というのは、素晴らしいと感動したことを思い出します。エチオピア饅頭を食べるたびに思い出すエピソード。
そんなエチオピア饅頭も明日まで。もう、あの風味を楽しむことはできんなります。最後の、貴重なエチオピア饅頭をゆっくり楽しみたいと思います。