雨の大歩危小歩危〔369〕2004/04/19
2004年4月19日(月)雨のち晴れ
今朝は出張で汽車のなかです。JR四国の土讃線特急「南風」に乗って、高知から岡山方面に向かいよります。この汽車、単線ヂーゼルで山奥の線路をひた走ります。振り子列車という構造で、カーブの多い山の中でもスピードがそこそこ出せるのだそうですが、結構揺れますね。しかしひまわり太郎、この土讃線の景色が大好きなんであります。四国山脈に源流を発する四国三郎「吉野川」沿いに、よくぞまあこんなところに線路をつけたもんぢゃ、とあきれるような山肌を削って走るのが土讃線です。
写真は、大歩危(おおぼけ)駅と小歩危(こぼけ)駅の間の、吉野川に架かる鉄橋の上から撮影したもの。今日は雨が降りよりましたので、車窓がちびっと曇っちょりますが、雄大な景色がおわかり頂けますでしょうか?右上を走る道は国道32号線。10年少し前に高速道路が出来るまでは、この道が高知の表玄関でした。こんな場所を縫って走る国道ですので、大雨が降ると当然通行止め。高知は陸の孤島になるのでした。まあ、しょっちゅうの事なので、みんな慣れてはおりましたけどね。
大歩危の名前の由来は、昔このあたりの道は、大股で歩くと危ない、ということで大歩危と呼ばれた、と、親類の徳島県人に教えてもらったことがあります。と、言うことは、小歩危は小股で歩いても危ない、ということでしょうか。
鉄道や国道が通るまでは、この界隈はめったにヒトの来ることのない秘境でありました。源平合戦の折には、多くの平家の落人が流れてきて住み着いたことでも有名です。大歩危から更に山へ入ったところにある祖谷谷(いやだに)なんかが有名でございます。また、この川を更に遡って高知県に入り、岩原という地区の山の上には、平将門と同じ時期に挙兵した藤原純友が、戦に敗れて逃げてきて住み着いたという伝説があります。岩原出身の弊社の総務課長S氏は、その末裔である、と言いはっておりますが、真偽のほどは定かではありません。