畑山水力発電所、40年のタイムトリップ〔3671〕2013/05/04
2013年5月4日(土)晴れたり曇ったり
今日は、朝から田野。高知県の東部の田野。連休中ということで、国道は県外ナンバーだらけ。皆さん楽しそうですねえ、実に。
小生も、用事を済ませたあと、帰りがけ、車で安芸の奥の畑山へ行くことにしました。安芸の街から安芸川沿いに20kmばあはありますし、道もせんばい。けんど、わざわざ行く価値はありますね、畑山。
2011年のゴールデンウィーク、5月1日に、安芸まで汽車で来て、安芸元気バスというがで栃ノ木まで行き、そっから走ってきたことがあります。暑かったです。今日は車ですき、ゆっくり。
今日は、結構、車と擦れ違いました。で、畑山温泉へ着いてみると、大阪ナンバーなど、県外ナンバーの車がどっしこ。素晴らしい。わざわざ、こんな所までやって来て下さる観光客さんに感謝ですな、まっこと。
前回も食べた土佐ジローの親子丼をおいしく頂き、ちくと散策。畑山温泉のしゅっと横には水口神社さん。杉の巨木と、幽玄な境内。この境内の幽玄さは、高知でも有数やと思います。
壮年のご夫婦が、双眼鏡で樹の上の方を眺めております。
どうやら、高知ではここにしかない、と言われるムカデランが、巨木に自生しちゅうということで、それこそ、わざわざ観に来たそうです。好きなヒトは好きですねえ。そのおんちゃんが、巨木の上の方に見える緑色の部分を差して、あれがそうだ、と言うております。「ランを探し慣れたヒトでないと、なかなかわかりにくいでしょうねえ。」なるほど。マニア恐るべし。
小生も、もっとマニアな部分を探求せんといかん、と、心に誓ったことでした。
そっから1kmくらい安芸川を遡上すると、川の対岸に、美しい洋館が見えてきます。緑の中に浮かび上がる洋館。2011年5月1日にご紹介した、水力発電書の痕跡。
ここでは、大正14年から昭和48年までの約50年間、水力発電が行われよったそうです。大正期に建てられた公共の構造物には、このように、実に美しいものが多い。そんな時代でした。単に機能性だけでなく、キチンと丁寧に作られた感じがするものばかり。この、畑山の水力発電書もその一つ。
とは言え、昭和48年、つまり1973年から使いやあせん訳で、なんと40年。う〜ん、40年。50年間使われたものが、使われんなって40年。発電所に渡る吊り橋や、手前の便所なども、朽ちかけながらももそのまま残る産業遺産。
ビックリするのは建物の中。前回の写真をよくご覧下さいね。あの、洋館の手前の壁の窓の一つが割れて、中が覗き込めます。ので、こうやってフラッシュをたいて撮影してみました。
建物の中は、座卓の上にマットと敷き布団。障子は外れちょりますが、床には畳。この風景は、40年間、変わらずにあるのでしょうか。そうとすると、なにやらタイムトリップしてしまいます。
高校生の頃、友人と二人で、大川村の白滝鉱山跡の廃墟へ、バスやヒッチハイクで行ったことを思い出しました。当時、まだ残っちょったゴーストタウン。風呂屋、パチンコ屋、郵便局などなど。ちょっと前まで人が住んでおったような、しかし雑草にまみれたゴーストタウンでした。
この、発電所の建物の痕跡も、それに似た迫力があります。
山の上から繋がる大きな導管は、この建物の、この床下へと延びてきちょります。どうやって発電しよったかは知りませんが、建物の中は発電室ではなく、このような日本間であったとは。おしゃれな洋館に見えますが、内側は和室でございました。ここに寝泊まりして、発電の番をしよったがでしょうか。
それにしても40年。右下の緑色のスリッパは、40年前、この部屋から出て行くときに脱いだ、そのままの状態なのでしょうか。