稲生、石灰山の湖のその後〔3632〕2013/03/26
2013年3月26日(火)晴れ!
ちくと花冷え。昨夜も、家の近所の堀川沿いには、たくさんのお花見客。
昨日、お昼の1時半から葉牡丹で飲み始め、二次会にひろめ市場。夕方5時からの会合にほろ酔いで出席した後、その懇親会。それは一次会で切り上げました。その帰り、堀川沿いは、まだ、やりよりました。昨日も日中はそこそこぬくかったですけんど、夜になると結構冷えました。風邪引かんように、お花見しましょうね。
さて。ここは稲生。南国市稲生。高知の皆さんにとっては、石灰のイメージが強い稲生。いなぶと読みます。土佐の石灰の礎を築いたのは、もちろん、ご承知の通り入交太三右衛門さん。18世紀後半に活躍した商人。下田村の石灰山を買い取って、阿波の徳右衛門さんの技術を導入、良質土佐石灰の名を高めたエラい人です。その子孫は、文政2年(1819年)、ここ稲生に石灰工場をつくって創業。今の入交グループですね。
で、稲生の、石灰工場の間の道からは見えませんが、ちくと山の方へ上がると、道路沿いからは想像できんような風景になります。稲生の石灰関係者、S巻くんに教えて頂いた風景。
2009年8月28日にご紹介したように、そこには、広大なエメラルドグリーンの湖が広がっちょりました。ちょりました、というのは、今は、その風景も随分と変わってしもうたきです。
そもそもその広大な湖は、平成10年くらいにできあがったもの。平成10年までは、その地点で石灰石の採掘が行われよりましたが、休止。それ以降、広い湖になったそうです。そもそも、採掘現場から水が出始めたがは平成4年ということですけんど。
その後、この湖の上を通る高知東部自動車道の工事が始まって、広大な湖の半分以上が埋められてしまいました。4年前に撮影した場所からは、もう、水は見えません。ぐるりと西側にまわりこんでみたら、ありました。この写真。う〜ん、こうなるともう水たまりですな。
と、思いながら更に西側へ探検すると、ありました。以前ほどの広大さはないですが、まあ、立派な池。鴨の大群が、水面にたたずんでおりました。以前の面積の3分の1くらいでしょうか。それでも、なかなか美しい池が、まだ残っちょります。
こういった、採掘現場に水が出る、というのは、ようあることにかありません。以前にご紹介した、住吉大明神が鎮座まします南国市の船岡山。外周だけ残して、内側はほとんど掘りさらばえられたあの山も、珪石の採掘現場ですが、底の方にちょっと水が溜り始めちょります。良質の石灰や鉱物が出るとなると、まあ、限界まで掘り進んでいくことになるがでしょう。
稲生湖。民有地で、危険ですき、普通はここまで入れません。皆さんに代わって、ひまわり太郎が、探検してきました。石灰関係者のみなさん、ごめんなさい。