37年振りのアルプススタンド、コンバットマーチ〔3630〕2013/03/24
2013年3月24日(日)良いお天気
ここは阪神甲子園球場。アルプススタンド。このアルプススタンドに来るのは、37年振り。37年前の春の選抜の準々決勝以来です。
37年前は、まだ、中学生。しかし、私の通う学校は中高一貫で、ブラスバンドは中一から高三までで、ひとつのクラブ。コンクールも、中学生が半分以上おるのに、高校部門に出場しよりました。
その前年、夏の甲子園に出場、そして春も。恵まれちょった時代でした。
当時は、もちろん瀬戸内海に橋もなく、四国に高速道路もなく、甲子園へ応援に行くのは大阪高知特急フェリーでした。行き来するのは大変で、一回戦に勝ったので、二回戦までの1週間、我々応援団は甲子園球場の近くの幼稚園に泊まったことを思い出します。布団は、幼稚園のお昼寝布団で、中学生やったとは言え。膝から下が出てしまう可愛らしいものでした。
今日、試合後、バスに帰る途中に、その幼稚園の前まで行ってきました。甲子園球場からしゅっと。もちろん建物は新しいものに変わっちょりましたが、ありました。そのままの場所に。懐かしいのなんの。
当時、大阪の水道水は、飲めたものではない時代。塩素臭がすさまじく、高知の水道水に慣れた我々には絶対無理。その塩素臭は、お茶に沸かしてもまだ強烈で、田舎の中学生にはカルチャーショックでした。一週間、そこで過ごした訳で、一番苦労したがは水分でした。
当時、まだ、自動販売機は少なく、あっても、まだウーロン茶とかは無い時代。水や茶を買うて飲む、などということは考えられない時代。自動販売機にあったのは炭酸飲料くらい。しかしあの水道水やお茶よりはマシで、炭酸でお腹がパンパンになりよりました。しかし懐かしい甲子園。
あまりにも甲子園から離れちょった学校。ですき、応援団も既に無く、急遽結成されました。もちろん先輩も居ないので、やり方は手探り。そんな状況やったので、何故か、小生も応援団の応援をすることになってしまいました。
コンバットマーチ。
写真は、急造応援団がコンバットマーチをやりゆうところ。このコンバットマーチの振り付け、小生が関わってしもうたのでありました。大学の頃、応援団でもなんでもない小生、ある、サークルで、このコンバットマーチを叩き込まれた経験を持つのであります。そんなこんなで、一度、振り付けをしに行きました。
まあ、急造ですき、うまくできちゅうとかなんとかは問題ないでしょう。それより、皆が頑張った「気持ち」。甲子園で、頑張る気持ちを発揚させることができたこと。素晴らしいと思いました。
試合はともかく、こうやって、同窓が一つになれる、ということの素晴らしさ。アルプス席を埋めた同窓が、心を一つにした時間。卒業以来会うたことのない友人に会い、一緒の学校であったことを喜びあう時間。野球部の皆さんんに、ホントに感謝せんといけません。ありがとうございました。