お彼岸を過ぎると、高知は夏へ〔3626〕2013/03/20
2013年3月20日(水)小雨
今日は春分の日。お彼岸。あいにくの小雨模様ですが、お墓の多いここ筆山には、たくさんの方が墓参に訪れちょりました。もう、かなり前から高知は春になっちょりますが。春分の日を過ぎると、もう初夏に向かう感じ。風景の中の緑も、どんどんと濃ゆくなっていきます。
ちょっとだけウィキで見てみると、お彼岸というのは、波羅密を意訳した「至彼岸」に由来すると書いちょりました。なるほど。波羅密はサンスクリット語からきちょりまして、彼岸という場所に至った、という意味にかありません。般若心経にハンニャ〜ハ〜ラ〜ミ〜タ〜、というのがありますが、あれがお彼岸という意味ながでしょうか。彼岸というと、向こうの岸。悟りの境地。そこに至るまでに、煩悩やら迷いやらの川を越えていかんといかん、ということですね。それを越え、向こう岸の悟り、彼岸、涅槃に至るために修行する訳です。
まあ、元々はそうですが、日本では、遥か彼方の極楽浄土に想いを馳せたがが彼岸の始まりながやそうです。彼岸と浄土信仰が結びつき、いつの間にか、祖先を供養する行事として定着して、今の形のお彼岸になったにかありません。まあ、なんで、春分の日、秋分の日を中心としてお彼岸の行事が行われるがかは、調べてみても、よくわかりません。色々諸説はありますが。
高知では、春のお彼岸の頃から田植えが始まります。ですきに、まあ、初夏の始まる合図とも言えます。
いつもお彼岸にやってくるここ、筆山。正確には、筆山と連なる南西側の山。古いお墓がひしめきあって存在する山。昔から、ここは墓所として利用されてきました。春のお彼岸にやってきますと、いつも、おたまじゃくしが卵から孵化しゆうような光景が見れます。しかし今年はどうやら早いにかありません。もう、あちこちからカエルの声が聞こえてきよります。ここの田は遅い田なので、まだ、レンゲや黄水仙が花を咲かせて春めいちょります。
筆山という山は、以前にもご紹介したように、鏡川の北岸から眺めた川面に映る山容が筆のように見えるき、筆山。しかし、ほんのちょっと前の地図を見ると、潮江山と記載されちゅう場合が多い。真如寺山と書いちゅう地図もあります。それぞれ、立場や場所、想いによって、呼び名が違うたがでしょう。筆山の南、高見山も、正式には皿ヶ峰というそうですけんど、それは大人になるまで知りませんでした。高見山は高見山ですき。少なくとも、我々の周辺で皿ヶ峰と呼ぶヒトは居りません。
筆山も、そうやったがかも知れませんね。正式には潮江山とかになっちょって、けんど、高知の城下の皆さんは普通に筆山と呼びよったとか。いや、違うかも知れませんが。
今日は、こっから山をたつくって、神田に下ってきました。これから、緑がどんどん濃くなり、生き物も増えてくる山々。道の無いところの薮漕ぎには厳しい季節がやってきますが、虫や動植物に出会える楽しみが増えてくる季節。ああ、山へ行きたい!