赤川庄八翁〔3605〕2013/02/27
2013年2月27日(水)晴れ!
昨夜は結構降りましたが、今日の朝のうちに上がり、良いお天気になりました。今日は、香川徳島方面。
帰りは高速ではなくて、国道32号線。時間的にはそんなに変わらんけんど、景観は抜群。好きな道です、国道32号線。
その国道32号線、大歩危と小歩危の間の吉野川に、目もくらむような吊り橋。車は渡れませんが、今でも利用されゆう雰囲気まんまんの吊り橋。「赤川橋」という橋で、橋の袂には、銅像と顕彰碑がたちます。顕彰碑には「赤川庄八翁顕彰碑」とあります。
ん?
見覚えのある名前。
そう。昨年11月19日のにっこりで、土讃線の祖谷口駅の前に架かっちゅう吊り橋をご紹介しました。あの、50年間には賃取り橋であった、今でも往時と同じように人が渡って生活に使いゆう吊り橋。あの吊り橋は、地元で、酒造業や林業で財を成した赤川庄八さんが、私財を投じて架けたという橋でした。その、赤川庄八さんの像と顕彰碑が、祖谷口から二駅以上、距離にしても10kmくらい離れたこの地にあるとは。ちょっとビックリ。
で、顕彰碑に書かれた文章を読んでみました。
どうやら、前回ご紹介したあの橋、大川橋というそうですが、あの橋は、土讃線に、祖谷口という駅を誘致するべく、赤川庄八さんが個人のお金でつくったがにかありません。確かに、あの橋がないと、吉野川東岸に駅ができても、西岸集落やその奥の祖谷地方の人々には、駅を利用する術がない。なるほど。すごいですね、赤川庄八さん。
で、その顕彰碑が何故こんなところにあるのか。
実はこの写真の橋は、赤川さんが個人で架けた造林橋。対岸の山を赤川家が持つがでしょう。その向こうの山には、個人で切り拓いた林道も。
昭和43年、吉野川のこちら、西宇地区の飲料水に、向こうの国見山の豊かな水を利用するようにしたら、ということで、赤川家が、簡易水道建設に用地を提供。そして、この造林橋と林道を、「明治時代から造林に協力して頂いた地元の皆様への恩返し」に、山城町へ提供された、ということです。これまたすごい。
なるほど。この橋をよく見てみると、通路の両脇に銀色の管。これが、向こうの山から水を引いてくる管ながでしょうね。
庄八翁の志し、思いを、子孫が引き継ぎ、伝えていく。なかなかできることでなありませんねえ。
国道を車で走りよっても、時折、こんな発見があるがが嬉しゅうございます。
日本の風景は、そこで暮らす人々の思いや助け合いの気持ちで、できあがっております。先人の大変な苦労と、地域への思いに感謝しましょう。