三島神社とテンポナの意味〔3604〕2013/02/26
2013年2月26日(火)薄曇り
ここは久枝。南国市久枝。空港の南の海岸に沿った集落。東が物部川、西が前浜。
その久枝に、この、立派な三島神社が鎮座ましましちょります。
この神社の創建は、意外に新しく、昭和16年。では、もっと古そうに見える鳥居や狛犬、燈籠などは、どっからきたのか。
この三島神社は、現在の滑走路部分にあった久枝山、室岡山とも呼び、地元では命山と呼ばれた山の南斜面に鎮座しちょりました久枝八幡宮と、下島に鎮座の十八所神社、それに、地区に点在するいくつかの神社をここに纏めて遷座、合祀して、創建された神社。色んな由緒が混じり合います。
例えば手水。古い大きな手水鉢が2つ並びます。たぶん、久枝八幡宮と十八所神社の手水を、両方並べたものと類推できます。
参道脇の狛犬や燈籠、玉垣などは、どの神社から遷座のものかはわかりません。ただ、本殿に一番近い鳥居の扁額には「八幡宮」とありますので、その鳥居は、命山の八幡様からやってきたものであることは、証明できます。
さて。
大きな手水の石。両方とも、かなり古そうですが、向かって右側のものは、年代が判別できませんでした。左側には、天保四年六月と刻まれちょります。天保四年、1833年。藩政期後期。天保年間には大塩平八郎の乱も発生、ようやく幕藩体制に陰りがみえてくる時期。龍馬が生まれるのは、その手水がご寄進された2年後、天保六年。
さて、天保四年といいますと、天保の大飢饉が始まった年とされます。手水は6月ですき、まだ、始まっちょらんかったでしょうか。飢饉が始まるがは収穫の秋ですき。
で、天保の大飢饉は、色々と説がありますが、天保十年まで続いたとされます。
この写真は、三島神社の参道入り口。この両脇を守る狛犬。この台座に、天保十年と刻まれちょります。天保の飢饉が収束する頃、この狛犬がご寄進されたという訳です。
ところで、色々と思いもかけんような行動をするヒトのことを、「あのひとは、まっことテンポなよ!」と言うたりしますよね。このテンポ。語源は、天保の大飢饉にかありません。西日本で広く使われる、ということ。「大変な」「とんでもない」「とてつもない」といったような意味やそうです。なるほど。そうやったがか。
てっきり、土佐弁とばっかし思いよりました。テンポな。
けんど、高知では、どうなんでしょうか。高知で「テンポな」と言う場合、他の地域の意味とはちくと違うような気がしませんか?
さっきも書きましたように、土佐弁では、「テンポな」は、ヒトに対する評価で使います。それ以外の場合、メッソ使わんですよねえ。少なくとも小生は、使いません。
新しい言語が生まれ、流布し、広く使われるようになった後、地域で用法が限定されていき、意味がズレて来る、といった現象ながかも知れません。
山へ、ひっとりでたつくりに行って、薮を漕いで大冒険したりする人物のことを「テンポな」と呼ぶのでしょうか。高知では。