庶民の娯楽、映画館の痕跡〔3592〕2013/02/14
2013年2月14日(木)晴れ
今日は煮干しの日。うちの、男子中学生が言いよりました。煮干しをプレゼントし合うそうです。男子中学生同志で。この世の中で、男子中学生ほど、おまぬけでおかしい生物は居らんのじゃないろうか、と思いよります。自分のときもそうでしたし、Jr.1号のときもそうでした。同世代の女子は、もう、背伸びをしながら大人になろうとしゆうのに、男子は、なんとなく子供の部分に執着し、大人になりたくないような、けんど身体や情報だけは大人に近づきゆうような。そんなアンバランスの上に、おまぬけな生態が形成されちょります。今日は煮干しの日。
昔、中高生がデートすると言えば映画。まず喫茶店へ行っちょいて、映画。鉄板でした。手元のデータを見てみましょう、昭和33年、高知県内にいったいこったい何軒の映画館があったでしょうか。ビックリしました。すごいですよ。たまげます。
何と、141軒。そんなにあったのか。もう、いたるところにあって、それぞれが結構満員になったりしよった、そんな時代。
それでは、そのうち高知市内はと言うと、34軒。人口比率から言うと、少ないくらいですが、それでも34軒。あっちにもこっちにもありました。
今は、イオンの中のシネコンを除くと、市内では、愛宕劇場と小劇を残すのみ。ついこないだまで、シネコンができるまで、市内にも封切館が残っちょりましたが、今はもうない。
ここは、今朝の菜園場。2005年6月2日にもご紹介したことのある、映画館の痕跡。あれから8年。周囲の風景は変わっていくのに、この廃墟の中だけは時間が止まったまま。この8年間、まったく変わらず、今も廃墟のまんまで街中に存在します。ここへ入り込むと、タイムスリップしたような、異次元空間へ迷い込んだような、不思議な感覚になります。
この写真は、スクリーンのあった場所から客席方向を見たところ。2階の部分の前端に草が生えちゅうがも、8年前と一緒。2階席の両脇にはダクト。あの上が映写室やったがでしょうか。
変わったところと言えば、8年前は、下に車が数台。駐車場になっちょりました。今は、崩落の危険があるきでしょうか、一台の車も停められちょりませんでした。
このように、痕跡というか、廃墟が、市内の街中にそのまま残っちゅう、というのも、なかなか無いと思います。貴重な産業遺産。保存運動が起きてもエイくらいの映画館の痕跡。ちなみに、この映画館は、菜園場劇場という名称やったそうです。
さて。
全県下で141軒。中でも目を引くのは安芸郡。安芸郡下に、なんと、29軒の映画館がありました。安芸市の4軒は別にして。安芸郡というと、安田町、田野町、奈半利町、北川村、馬路村、東洋町、そこになんと29軒の映画館。だからという訳でもないでしょうが、今でも、安田町に大心劇場が残ります。
映画が娯楽の王様であった時代。
その前はというと、やはりお芝居でしょうか。こないだご紹介した、松渕川公園のところに高知座があったように、あちらこちらに芝居小屋がつくられ、庶民の娯楽の殿堂でした。明治の頃。
その前は、どうでしょうか。
もちろん芝居も、娯楽の中心でした。それと、相撲。毎度ご紹介する、幕末の日記「真覚寺日記」には、しょっちゅう、あちこちで、相撲が行われゆう風景が見て取れます。相撲が娯楽の王様でした。
時代とともに、庶民の楽しみ方は変遷していきます。10年後、50年後、100年後、どんなになっちゅうでしょうか。そうやって変化しても、昔、ここが娯楽の殿堂であったことを伝えるように、この廃墟もこのままの姿で残っていったら楽しいですね。