土讃線、大歩危トンネル旧線のトンネル跡から〔3588〕2013/02/10
2013年2月10日(日)晴れ、山は曇り
先週、土讃線の、大杉と土佐北川の間、廃線になっちゅう昔のルートを探検し、このにっこりに書きました。とても素敵な旧線で、鉄橋あり、トンネルあり、ちょっとスリルもあり。難易度も、それほど高くないので、入門編としては最適でした。薮漕ぎも、今の季節なら、なんとかなります。廃線探検の旅は、今の季節に限ります。それは、今日、実感してきました。
今朝、またまた、高知駅7時発の特急南風。最近ビッシリ乗りますな、この汽車。で、今日は大歩危駅まで乗ります。お目当ては、大歩危トンネル旧線。
土讃線の、四国山地を突っ切る工事が完了したがは、昭和10年。最後までつながってなかったがが、徳島県の三縄駅と高知県の豊永駅の間。ここには、大歩危峡と呼ばれるような、観る分には美しい、しかし、道路や線路を通すには、こじゃんと難しい難所がありました。そこに、当時の皆さんのすさまじい努力で、鉄道を通したのでありました。
険しい険しい山と渓谷。当然ですが、完成してからも、土砂崩れ、地滑りが頻発する路線。しょっちゅう、土砂崩れで通行止めになったりしよりました。そこで、昭和43年(1968年)、大歩危トンネルという長い長いトンネルが掘られ、土讃線一番の難所と言われておった箇所を通ることがないなったのであります。
ひまわり太郎、土讃線は、幼少の頃からビッシリ乗りよりました。昭和43年と言えば、小学校低学年。ですき、トンネルができる前の、土讃線からの景色も、眺めよりました。風景の記憶は遠いですけんど。
で、今日は、そんな、小学校に上がる前に眺めていた土讃線の風景をリフレインしょう、という魂胆で、7時の南風に乗り込んだのでした。
大歩危駅から祖谷方面に行く道を行くと、途中で、右手に分岐。それをどんどん行くと、かなりの標高まで上っていきます。トンネルと二つ抜けると、榎という集落の上。そこで、道から集落の方へ急坂を駈け下ります。大歩危駅から走りましたけんど、走るがには、アップダウンがキツうて最適。良い汗をかきました。下った道路のどん詰まりから、今度は山道を下ります。が、途中で道はなくなり、薮。
バラが有りますき、今日は軍手ではなく、もうちっと厚手のバラを通さん手袋。学習能力が高いですな。しばらく下り、旧線跡はまだぢゃおか、と思いよったら、下の方でガサゴソ〜という音。見下ろすと、鹿。鹿が3匹連れこって、ビュンいうばあ、駆け抜けて行ったではありませんか。ビックリ。あれっぱ速うに走れるということは、あそこが旧線跡に違いない、と、心躍らせながら薮を下ると、そうでした。ご明察。
先週の旧線よりも、ちょっと荒れた感じ。そうですね、廃線になったがが古いですき。もう、45年経過します。鉄橋は、今はもう橋台しか残らず、深い深い薮の中。
そんな、橋台とトンネルが続く旧線跡は、四国一の規模の廃線ということでしたが、実際、なかなかスゴかったです。写真は、途中のトンネル。準備万端、大人の対応ですき、今日はヘッドライトを持ってきちょりました。こんな、ヘッドライトを点けたおんちゃんに、こんなところで突然出くわしたらたまげるでしょうねえ。
数時間たつくって、また、急坂を駆け上り、大歩危駅までモンてきて、駅前の歩危マートで祖谷そばを食べて、お昼過ぎには高知へモンてきました。充実した日曜日の午前中。一日を、有効に使えると、嬉しゅうなりますよね。
ところで大歩危。おおぼけと読みます。JRの、大歩危の次の駅は小歩危。こぼけと読みます。昔、大歩危は大股で歩いたら危ないような地形の場所。小歩危は小股で歩いても危ないような地形。小歩危の方が危険ぢゃいか!と思うたことがありました。どうやらこれは俗説。
ホケとかボケとかは、古来、日本では、断崖のような場所を示す言葉やったにかありません。高知市内から旧鏡村役場の方へ行く道の途中、峠になっちゅうところのバス停が「ホケ」。以前にもご紹介しました。なるほど、断崖のようになっちゅうところがホケか。
歩いて危ないき、歩危でホケと呼ぶようになったがか、ホケという言葉が先にあって、後になって歩危という文字を当てたのか。どうやら、後者にかありません。日本の地名も、なかなか奥が深い。