大豊の山、炭焼きの痕跡〔3571〕2013/01/24
2013年1月24日(木)晴れ!
昨日、徳島に行っちょりまして、今朝、車でモンて来ました。大豊まで。
大豊町は、高知の山間部に位置する町で、元祖限界集落。昔、高知大学の大野教授が提唱した概念、限界集落。人口の半分以上が65歳以上、という自治体のことをそう呼び始めたのでありますが、その当時、つまり西暦2000年当時、全国で、地自体単位での限界集落は、高知県長岡郡大豊町だけやったのであります。
その後、かなり増えたのはご承知の通りですが、大豊は、今でもその最先端を行きよります。
その大豊町は、弊社とは、かなり縁が深い町。共同で商品開発をしたり、大豊町産の柚子を使った商品をつくったりしてきた経緯があります。そして、なんと申しましても、ひまわり乳業宅配の主力商品、健康青汁「菜食健美」の原材料となる、ケールや小松菜などの10種類の野菜は、そのほとんどが、大豊で生産されゆうのであります。もちろん契約栽培で、70軒を超える農家の皆さんが、頑張って生産してくれゆうがです。大豊町がなければ、菜食健美は成り立たないと言えます。
弊社の担当者が、年中、生産者さんを巡回しており、緊密な連携をはかっていきよりますが、来週は、年に一度の打合せ会。地区別に、いくつかの場所で、今年の契約量や価格、生産者の選定、注意事項などを話し合う場を設けます。小生も、出席させてもらいゆう、重要な会議が、来種なのであります。
それとは関係ないですが、今日も大豊。実は、大豊町に、ひまわり乳業が所有する山林があるがです。50年近く前、自前の牧場をつくろうと購入したものの、色々と状況が変わったので、杉や檜の植林をして、今に至っちょります。今日は、森林組合さんと、弊社OBで大豊の山に詳しいSさんと一緒に、その山の状況を見に行っちょったがです。朝から。
山の上の方には雪。林道を、四駆で上っていきますが、途中からはかなりの雪でした。車を下りて、山中へ。
最初の頃に植林した林は、もう、立派な林に育っちょりました。Sさんも、なかなかエイ山になっちゅうねえ、と、言うておりました。ちなみにSさんは今日も地下足袋。昨年、一緒に三嶺を登り、「エベレスト登りゆうみたいなねえ」という名言を吐いたSさん。地元、大豊の山ですき、ズンズン行きます。
途中で、大きめの穴が掘られ、石組みで囲われた痕跡の場所を発見。Sさんによりますと、これは炭焼き小屋の跡。写真がその風景。ここで、昔、炭を焼きよった痕跡やそうです。何故、Sさんにそれが判るかと申しますれば、Sさん、若い頃、大豊のもっとずっと深い山奥で、炭焼きをしよったことがあるきです。「大豊で最後の炭焼きかも知れんねえ」と、爽やかに語っておられました。
何故、そんな深い山の奥で炭を焼かんといかんかったか尋ねてみました。理由は、炭用の樹木。杉や檜の植林が増えて、炭の材料になるような樹が、山奥に入らんと手に入りにくうなったので、炭焼きは、どんどん奥へと入っていったがにかありません。
大豊は、ホントに、びっくりするくらい奥が深い。こんな山にどうして道が付いちゅうろう、と思いながら入っていくと、その奥にも集落。昔からの人間の営みというのは、現代の街の人間の想像を遥かに越えます。
午後、高知へモンて来ました。夕方、これまた偶然大豊の方がいらっしゃいまして、猪のお肉をくれました。素晴らしい!
今日は大豊デーでした。