小豆島急行フェリー、冷やい!〔3572〕2013/01/25
2013年1月25日(金)小豆島は晴れ!
今、瀬戸内海の小豆島、土庄港で、帰りのフェリーを待ちながら、このにっこりを書きよります。今朝、やって来ました。あずきじまのどしょうこう、ではなくて、しょうどしまのとのしょうこう。
まずは朝、7時の特急しまんとに乗って高松へ。高知駅界隈は、そんなに寒いとも思わんかったがですが、四国山地の中に入っていくにつれ、なにやら寒げな風景になってきます。そして、大杉の辺りから雪模様。予想外でした。
昨日やなかって良かったです。昨日、今日みたいに降りよったら、大豊の山でこじゃんとアズるところでした。
汽車が県境を越え、大歩危駅に至る頃には、吹雪のような雪。これはまた積もるでしょう。明日の高知自動車道が心配です。
阿波池田に着く頃には雪もやみ、汽車は山中をクネクネと香川へ。そして高松。
高松駅で汽車を降りると、冷やい。こじゃんと冷やい。風がビュンビュンで、寒風吹きすさぶ、という感じでございました。震えもってフェリー乗り場まで歩き、小豆島行きのフェリーに乗船。
写真は、高松港を出航したばかりのフェリーから、高松方面を撮影したもの。甲板の上がこれまた冷やいので、慌てて撮影して船室の中へモンて来ました。
風がエラく、波が高いので、結構揺れます。瀬戸内海やのに、かなり、揺れました。
小豆島は、以前も書きました通り、小学校の修学旅行で行った場所。当時泊まった旅館が、今でもあります。孔雀がいっぱい居った施設は、今はもう無いそうです。修学旅行では、醤油工場を見学に行きました。お土産に醤油を1本貰うて帰ってきましたが、カバンに醤油がちょっと漏れて、オオゴトになっちょったがを思い出します。
その、見学した醤油工場は、マルキン醤油さん。ところが、こないだ新聞に載っちょりましたが、企業統合とかがあって、マルキン醤油というブランドが消えてしもうたそうです。工場はそのまま運営され、あの、醤油ソフトクリームもキチンと販売されゆうにかありません。
昨年、小豆島へ来た際には、尾崎放哉記念館へ寄っちょりました。そう。種田山頭火と並び称される自由律俳句の巨人、尾崎放哉さんは、その晩年を小豆島の土庄で寺の下働きをしながら過ごし、終焉を迎えました。その、最後の住居が、記念館となっちゅう訳です。東大出のエリートであった尾崎放哉さん、そのとてつもない酒癖の悪さで、身を持ち崩しつつ自由律俳句の世界に入り、すごい作品を残しました。あの、破滅的な生活が、あの素晴らしい自由律俳句を産み出したと思えば、複雑な気持ちになります。
まさか、放哉さん、最期を過ごした小さな家が、記念館となって、全国からファンが訪れるようになるとは想像もせんかったでしょう。
今日、小豆島の方が、車で少しご案内してくれました。土庄の商店街。その商店街のお店をよく見ると、それぞれの玄関の脇に、文字の書かれた額が飾られちゃありました。それぞれのお店で、好きな尾崎放哉さんの句を選び、額に入れて掲げちゅうがやそうです。これは面白い。放哉さん、これこそ、夢にも思わんかったでしょうね。そんなことになるとは。後世になってみてみんと、その時代、その人物、その事績の価値は、わからんもんです。