はりまや橋今昔〔356〕2004/04/06
2004年4月7日(水)快晴!
昨日に引き続き、今朝もはりまや橋界隈をたつくって来ました。昨日の古い写真は、はりまや橋の明治後期の頃の風景でしたが、今朝のやつはもっともっと古く、明治初期の頃の風景だと言われちょります。橋を北へ渡った辺りから北に向かって撮影したものでしょう。いかがです?右が同じような場所から北に向いて撮影した写真です。早朝なんで、あまり車が通ってませんが、日中はたくさんの車が行き交うとても混雑する道路です。
左の写真、明治初期ということは、幕末の頃とほとんど変わって無いということですね。つまり、この道を龍馬や武市半平太や純信お馬が闊歩していたのでありましょう。
この左手が、藩政期初期に京から井筒屋宗泉という呉服商がやって来て商売を始め、藩の御用商人になったことから名前が付いた「京町」。呉服商や小間物屋が立ち並んで、お城下で一番繁華なところと言われた街ですね。その北が、職人が多く住んだ「細工町」。この道の右側は、城下町建設の際に種崎から商人や水主を移住させてつくられた「種崎町」。その北側が、城下町建設当時に曽我六兵衛さんに代表される何人かの紺屋が住んでいたことに由来する「紺屋町」。ここは藩政期を通じて、綿屋、糸屋、呉服問屋などが建ち並んだ繊維関係の問屋街だったそうです。
とにかく、この界隈が高知の城下を代表するにぎやかな場所やったがですね。