日本最大級の弥生竪穴式住居群が、高知に〔3531〕2012/12/15
2012年12月15日(土)晴れ!
昨夜は降りました。結構降りました。が、小生が活動を始める午前4時頃にはもう雨も上がり、空にはお星様。そう言えば、流星群、見るがを忘れちょりました。
今朝、夜明けとともに、ご覧のようにキレイな青空が広がる高知県地方。今日の予想最高気温は20℃。ぬくい一日になりそうです。
今朝の高知新聞に、南国市の田村北遺跡発掘の記事が載っちょりました。空港の北、東西に、現在、高知東部自動車道が建設されよります。その工事現場で行われた発掘調査の成果。
この時代に道路をつくることの是非は、色々と議論のあるところですが、そういった公共工事の、最も良い点は、それに際して遺跡の発掘調査が行われるようになったこと。曾てはそうでもなく、平気で、公共工事でも重要な遺跡が破壊されたり無視されたり、見なかったふりをされたりしてきましたが、近年はさすがに、調査も行われるようになりました。
で、その、工事現場の調査から、予想はされちょったもんの、多数の弥生時代の竪穴式住居跡やら、中世の役所らしきもの跡が発見されました。
これによって、今迄発掘された田村遺跡群と合わせて500棟を超える竪穴式住居群になる見通しとのこと。どうやら、その規模は全国最大規模。全国最大規模ですよ、高知で。
縄文時代は、ご存知の通り、北日本が生活文化の中心でした、三内丸山遺跡のすごさを見ればわかります。が、弥生期になって、中心は西日本に移行。弥生中期になると、佐賀県のあの吉野ヶ里遺跡の大集落が成立するなど、北部九州とか、近畿圏とかに大きな集団が住んだことはわかっちょります。その弥生中期後半、ここ、四国島の南岸に、全国有数の大集落があったということになる訳です。これはすごいことやと思いませんか?
今朝、その工事現場に写真を撮りに行ってきました。もう、掘れば出てくる、という感じに延々と存在する竪穴式住居跡。昨夜の雨で、プールみたいになっちょりました。
この眼の前だけではなく、遥か彼方まで竪穴式住居が広がる風景。想像してみてください。う〜ん、太古のロマン。ここで、まさしく、弥生の人々が生活しよった息吹が聞こえてきそうではありませんか。
この大集落、弥生後期になると急速に縮小、人々が住むエリアは周縁部へと移っていきます。これも謎。
例えば、2011年2月21日にご紹介した野市の東野土居遺跡。例えば、2011年6月25日にご紹介した、大きさでは高知一の竪穴式住居がある弥生終末期の遺跡。
この、田村の大集落は、物部川の自然堤防上にあります。当時の物部川は、このしゅっと東を流れます。たぶん、物部川の氾濫にはかなり悩まされたと思われますし、津波も襲うてきたことは想像に難くありません。
しかし、この土地に大集落をつくったということは、やはり水の便が良かったきでしょうか。物部川の細かい支流が網の目のように流れ、弥生期、田を潤すのには最適の場所やったがかも知れません。
なぜ、この大集落が急速に消滅していったのか。これが目下の最大の謎。
ひまわり太郎の妄想では、やはりこの土地、洪水や津波の自然災害には弱い。弥生末期になってくると、灌漑する技術が向上し、水の便は悪いが災害に強い場所に田んぼをつくって住めるようになっていって、徐々にそちらに移住して行ったのではないか。
いや、素人の妄想です。
専門家の意見を聞いてきます。