朝5時、特急車窓からの風景〔3529〕2012/12/13
2012年12月13日(木)晴れ!
今朝は一番の特急に乗って岡山。高知駅を朝5時発。こんな汽車、以前ありましたっけ?
6時が始発やったような気がしますが、とにかく5時発は便利。小生のように4時に自動的に起きてしまう体質の人間にとって、5時の汽車はボッチリですし、目的地に着くがが早いので便利。まあ、5時から乗っちゅう乗客はこじゃんと少ないですけんど。
写真は、高知駅のホームで発車を待つ特急の車窓風景。電車通りが南に延びる、新しくなった高知駅前。
高知駅が最初にできたがは、日下と高知の間が開業した大正13年。それまで、この界隈は田んぼ。はりまや橋から北進した道も、江ノ口川で行き止まりでした。それが、高知駅開業に伴い江ノ口川を渡る高知橋ができ、道路がここまで繋がった訳です。
さて。昨日、新地の話を書きましたが、都市計画と市街地の形成、賑わいの創出は、なかなか複雑。鉄道を、四国山脈の向こうから引いて来ようと計画された際、どこに高知駅をつくるかは、大きな課題やったと思われます。当時、たぶん、こういった交通施設が街中にできることは敬遠され、郊外であったこの場所が北から来ても西へ行くにもボッチリ、ということで選ばれたがでしょうか。蒸気機関車ですき、かなりクスりますきんね。
まあ、当時の街の中心は、現在のはりまや橋商店街界隈の種崎町。こっから、道路がつながってしまえばそんなに遠い訳ではない。ここに高知駅をつくった際には、種崎町からこの高知駅にかけて、賑わいが創出されていくのではないかと想定されたがぢゃあないでしょうか。
しかし、そうはなりませんでした。
街は西に向かって賑わいが広がっていきます。高知城方面。高知市民にとって、そちらに賑わいが広がっていくがが自然であった訳です。
そこに住む人々が、何を基準に喜びを覚え、そこに暮らして良かったと思い、その街を楽しみ、好きになるか。それは、単純ではなく、また、土木工学の専門家とか道路交通の専門家とかには絶対にわかる訳がない。
悲劇は、都市計画を、そんな、何もわからない連中が主導権をもって立案し、実行するときに訪れたりしますね。効率だけ考えて合理的につくられた場所には、ヒトは、たむろしようとはせんのです。好きなのは、水辺、混沌、猥雑、有機的なヒトとの繋がり。美しくて便利でも無機質な場所には、ヒトは集まって来ない。
賑わいは、創出するものではなくて、湧き出してくるもの。行政は、湧き出して来るのを邪魔せず、一歩引いて環境を整えることが肝要やと思います。
まちづくりや都市計画は、難しいのであります。が、世界中に、大失敗例や成功例がありますき、少なくとも行政に関わるヒトたちは、それを勉強した方はエイですね。と、朝の汽車の中で、まだ真っ暗な車窓からの風景を眺めながら、イランことを考えよりました。
間もなく夜明けです。