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新地考〔3528〕2012/12/12

新地考

2012年12月12日(水)快晴!冷やい!

今朝は高知。シビコオル朝。
昨日の朝はディープ大阪RUNやったき知りませんが、一昨日の朝の最低気温はビックリしました。高知空港で氷点下4℃を下回ったとか。ひまわり乳業は空港からしゅっとですき、会社の最低気温もそれっぱあやったがでしょう。う〜ん、冷やかったはず。

今朝も冷えます。体感は、一昨日ほどではない感じ。けんど冷やい。どれっぱあながでしょうか。会社に停めちゃある車も、ご覧の様に白うにカチバリツイて、乗るがも冷やそう。空には雲ひとつなく、夜明け前、月の無い空には星がギッシリとひしめきよりました。

さて、昨日、ディープ大阪のひとつ、飛田新地をご紹介したところ、各方面から反響がございました。で、そもそも日本で言うところの新地とは。
たぶん、小生が想像するところ、維新後、新しい街として開発され、遊郭などが立ち並んで賑わいをみせた猥雑繁華街、てなイメージがあります。

大阪ですと、昨日の飛田新地の他に、松島新地、今里新地とかが古さを引きずりつつ今に残ります。飛田新地は大正期にできた、日本最大級の遊郭といわれた歓楽街。松島新地は、木津川と尻無川が二股になった低湿地に明治期に成立した歓楽街。そして今里新地は、昭和初期、松島新地移転問題にからんで誘致され、できあがっていった遊郭街。花街。戦後はコリアンタウンになり、赤線とコリアンタウンが混じり合う混沌ディープ大阪をつくりあげていったとされます。場所は鶴橋から東へ数百メートル。昨日、大阪の地形の話でも書きましたが、上町台地に切れ込む谷、桃谷を流れよったであろう谷川の下流、鶴橋の東の低湿地際。やはり、猥雑な歓楽街の立地条件に合致。
今度、ぜひぜひ早朝RUNを観光してみたいエリアでもあります、今里新地。

高知にも維新後、新地ができました。
上(かみ)の新地はご存知玉水新地。今に名残をとどめる玉水町。鏡川の北を流れる用水沿いに、明治期にできた歓楽街。戦後も赤線として賑わいを見せて、先輩たちにはお世話になった方々も多いと聞きます。聞きます。
細々とではありますが、今でも飛田と同じように営業は続けられゆうにかありません。景観、風情はすばらしい。

下(しも)の新地は当然稲荷新地。農人町、常磐町と、五台山へ行く青柳橋の間の堀川、浦戸湾沿いに開発された新地。埋め立て新地。ここも明治期にできて、こじゃんと賑わい、自由民権運動の懇親会などもここで繰り広げられました。下の新地と自由民権運動は、関係が深いのでありました。

稲荷新地には、以前も書きましたが、知寄町二丁目から電車が引き込まれ(新地線)、稲荷新地という停留所もあって、皆さん電車に乗って遊びにいけるようになっちょった訳です。もちろん上の新地も上町五丁目電停下車、しゅっと。

今は「新地」という名称、高知では聞かんなりましたねえ。

そう言えば、大阪で新地と言えば、今は「北新地」。
あそこは歴史、古いですね〜。江戸時代の前期。曾根崎新地ですき。近松門左衛門の世界。と、いうことは、新地というと維新後ということではなく、藩政期の昔から、新しゅうに開発された街のことやった訳です。なるほど。
藩政期の当時から曾根崎新地は武家のお客さんとかお金持ちのお客さんが多く、ミナミとは違う繁華街やったとされ、今もキタの新地は高級、ミナミは庶民的、という文化に受け継がれちゅうがが歴史の面白さ。


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