土佐郡高坂郷〔3516〕2012/11/30
2012年11月30日(金)快晴!
良いお天気。見事な青空が広がります。が、夜明け前は少し霞がかかり、まん丸お月様もちょっと霞んで見えました。月明かりが薄雲を照らし、ちょっと笠をかぶったようになっちょります。お月様の右下に、ホクロのように見えるのは木星。
ここは夜明け前の鏡川。中の島の土手の上から撮影しました。向こうに筆山、九反田橋、その右にトップワン四国が見えます。
昨日ご紹介した、平安時代、10世紀前半に編纂された百科事典「和名類聚抄」を見てみましょう。これの11ページ。当時、当然のことながらここ中の島は浦戸湾の底。区域で言えば土佐郡には属します。
土佐国は、安芸郡、香美郡、長岡郡、土佐郡、吾川郡、高岡郡、幡多郡の7つの郡。で、昨日の氣良は長岡郡でしたが、ここは土佐郡。
今、気付きました。現在、土佐郡は土佐町と大川村だっけになっちゅうがや。これはビックリ。なるほどねえ。
平成の大合併以前は、土佐郡は土佐町、大川村、本川村、土佐山村、鏡村でした。鏡村と土佐山村が高知市に併合され、本川村は吾川郡いの町の一部になってしまい、残ったのが2つだけ、ということになった訳ですねえ。いや、今まで気付かんかったです。
ん?
と、いうことは、現在、香美郡という郡は無いなってしもうたのか。全部香美市と香南市になってしもうて。
土佐は七郡、という状態が、和名抄の時代からキチンと継承されてきて、ここにきて香美郡という名称が地図の上から突然消えた、ということ。これはひょっとしたら歴史的大事件。こんな、歴史的大転換を、まったく気にせず無造作にやってしまうことの恐ろしさ。ビックリしました。こうなったら、市も郡に属ささんといかんですな。
それはともかく今朝は土佐郡。
和名抄に記載されちゅう土佐郡には、郷が5つ。これはもう、現在の高知市域。
土佐郷、高坂郷、鴨部郷、朝倉郷、神戸郷。
土佐郷は、和名抄の写本によっては土左郷とも書かれ、「日本地理志料」に一宮、布師田、薊野、久礼野、重倉、土佐山界隈と比定されちょります。土佐町、大川村まで含まれちょったかどうかは定かではない。
高坂郷は、同じ資料で、高知、江の口、潮江、万々、久万、秦泉寺、と比定。高知は大高坂で、現在の高知城界隈。つまり、この写真の界隈は高坂郷ということになりますね。
鴨部郷は鴨部、杓田、福井、尾立、大河内、宗安寺、行川、成山。
朝倉郷は朝倉、枝川、池ノ内、となっちょります。
わからんのが神戸郷。たぶんかんべと読むがでしょうが、上の資料では、今の神田、石立界隈に比定。しかし別の資料では土佐神社界隈とし、一宮、秦泉寺を比定しちょって、謎です。
ともあれ、今朝は、浦戸湾の海から、高坂郷の潮江、大高坂方面を眺めました。