香美郡物部郷の八幡さま〔3517〕2012/12/01
2012年12月1日(土)晴れ!
今日から12月。身が引き締まる、12月1日。
ここは、ひまわり乳業が所在する南国市物部の氏神様、上岡八幡宮さん。午前4時半の上岡八幡宮さん。現在は香南市ですが、こないだうちまで香美郡野市町でした。物部川の東岸にありますが、その昔、物部川の河道は今よりずっと西にあり、ひまわり乳業も上岡も、太古の昔は物部川東岸。
昨日のにっこりひまわりで土佐郡、一昨日のにっこりひまわりで長岡郡をご紹介するのに使用した、10世紀前半編纂の百科事典、和名抄(和名類聚抄)を、今日も見てみましょう。これの10ページ。
これによりますれば、この当時、香美郡には8つの郷があったことがわかります。安須郷、大忍郷、宗我郷、物部郷、深渕郷、山田郷、石村郷、田村郷。
この中の物部郷に、ひまわり乳業のある南国市物部も、この八幡様が鎮座まします香南市上岡も、含まれちゅうという訳です。
さて、その他の香美郡の各郷を検証してみましょうか。
まず安須郷は、言うまでもなく夜須で、旧夜須町、香我美町の海岸部。
大忍郷は、「おおさとごう」と読みます。「於保左止」と、訓読みが記載されちょりますき、わかります。「日本地理志料」による当時の大忍郷は、徳善、王子、山内、東川、石船、福万、末清、別役、羽尾、道家、久江、西川、奥西川、逆川となっちょります。石船という名前が見えるので、天忍穂別神社、通称石船神社さんも、大忍郷にある、ということになります。忍という文字は、天忍穂別神社からきちゅうがかも知れんですね。全然関係ないかも知れませんが。
宗我郷は「そがべごう」。これは旧野市町東南部、赤岡町、吉川村と、物部川西岸の南国市久枝。そう。ここにも、物部川本流が今より西であった痕跡が認められます。
深渕郷は旧野市町北西部。「ふかぶちごう」。「布加不如」。もちろん物部川の西岸、南国市立田地区の一部も含まれる訳です。
山田郷はまさしく旧土佐山田町。
石村郷は「いわむらごう」。「伊波牟良」と読みまして、南国市の岩村を中心に、山田の南部も含む地域。
こないだの新聞に、ひらがなが成立したのは、今迄は10世紀と思われちょったがが9世紀半ばまで遡ることがわかる発見があった、という記事た載っちょりました。この和名抄の時代、ひらがなができたばっかしの時代。まだ、振り仮名にひらがなを使用するまでには至っちょらんかったがでしょう。漢字で読み方を説明しちゃあります。
最後の田村郷は、南国市田村、前浜などの南国市南部エリア。
香美郡は、ついこないだまで、8つの町村がありました。物部村、香北町、夜須町、香我美町、赤岡町、吉川村、野市町、土佐山田町。平成の大合併で、3つが香美市に、5つが香南市になって、香美郡という名称が消えました。この、上岡八幡宮が鎮座ましますのは旧香美郡野市町。平安の頃は香美郡物部郷。ずうっと、香美郡でありつづけてきた、八幡様。