信仰の山と、御留山〔3491〕2012/11/05
2012年11月5日(月)曇り
一昨日のにっこりで、三嶺頂上付近の樹氷がこじゃんとキレイ、てなことを書きましたが、どうやら霧氷の方が正しいようです。正確に言うと、樹氷は霧氷の一種。個人のfacebookに一昨日撮った写真を載せちゃありますが、どうやら、あんなのは霧氷と呼ぶにかありません。同じ日の高知新聞に、瓶ヶ森の同じような風景を紹介して、「霧氷」と書いちゃあったがで、気付きました。
「霧氷」という単語には、個人的に鮮明な記憶があります。調べてみますれば、昭和41年、ひまわり太郎5歳の頃。秦泉寺の、おじいちゃんおばあちゃんの家で、橋幸夫の「霧氷」が、ちんまいレコードプレーヤーで、ビッシリかけられよったがです。ビッシリ。で、「むひょー むひょー 思い出はかえらない〜」の部分だけ、今でも、そのプレーヤーの映像とともに、脳裏にはっきり残っちゅうのであります。しかし霧氷をひらがなで書いたら、ちょっと情けないですな。
さて、それはともかく、山はエイです。自由律俳句に、二人の巨人がおります。種田山頭火と尾崎放哉。この二人、酒で生活を崩していったことでは共通しますが、色んな意味で、対照的。中でも有名なのは、山頭火さんは山を愛し、放哉さんは海を愛した、という話。山頭火さん、とにかく、山の中で自然に抱かれるのが大好きでありました。放浪の日記を読むと、よくわかります。小生も、どちらかと言えば「山」派。深山幽谷にひとりたたずむのが、一番好きなのであります。
今日は、個人的な、皆さんにとってはどうじゃあちカマん話が続きますね。申し訳ございません。
さてさて、それはともかく、今朝は、南国市の空港の南、前浜から、北東の山々をズームで撮影してみました。中央は、言うまでもなく、三宝山。標高213.9mの、かつて金剛堂寺があり、三宝荒神さまが鎮座ましました信仰の山。左手には乳房のような形をした御在所山。標高1079mの、平家伝説の山、御在所山。てっぺんには大山祇神社。そして三宝山の右手には、三宝連山の主峰、秋葉山。標高489.5m。てっぺんには、もちろん秋葉神社が鎮座。特徴的な、尖った頂上付近の姿は、あそこに神社があることを想像させてくれます。
このように、ランドマークのような山々には、必ず神様がいらっしゃいます。山と信仰は、深く結びついてきた、日本。大豊の梶ヶ森なども、加持祈祷の加持ヶ森で、古い古い信仰の山。ところが、一昨日の三嶺、頂上付近に、そんな、信仰のための祠などがない。三嶺が、信仰の対象であった、という話も、メッソ聞きませんが、どんなもんながでしょうか。御留山は、一般のヒト達が入山することが許されず、行者も山伏も、活動できんかった山やきでしょうか。