堀川今昔〔349〕2004/03/30
2004年3月30日(火)雨
今日は朝からよう降りよります。花見も今日はひとやすみですね。ひまわり太郎の家の近くのお花見スポット堀川沿いも、今日は場所取りのシートも無く、静かなたたずまいを見せておりました。ここの桜は7分咲き。今週末はみごとな満開になりそうですね。
さて、この堀川、藩政期から昭和の初期にかけては高知の表玄関、海運の中心として賑わいをみせた場所です。右の写真は、春雨にけぶる堀川の桜並木ですが、左は、明治後期の堀川の賑わいの写真です。川に突き出た黒い屋根の建物は、おそらく水上警察署。
その向こうに、藩政期には「松ケ鼻番所」という大きな番所がありました。その番所の名の通り、この堀川沿いには松並木が伸びちょりました。そしてこのおびただしい船の往来、いかがです?浦戸湾へ入って来た大きな船は、そこで小舟に荷物を積み替え、この堀川へ入って来て、この川沿いの蔵に降ろされたのでしょう。また、お城下で使う魚介類や生鮮品も、ここで水揚げされておりました。ここから少し下った辺りは、明治から昭和初期にかけては「稲荷新地」または「下(しも)の新地」と呼ばれ、歓楽街として栄えました。明治25年、「上の新地」玉水町で繁盛していた「陽暉楼」が、ここ稲荷新地に大きな店を構え、ここを本店としました。その賑わいを彷彿させる写真ですよね。
右の写真を写した大鋸屋橋(おがやばし)の少し上、現在高知市文化施設かるぽーとがどかーん、と建っちゅう場所に、昭和40年代まで高知中央卸売市場がありましたので、その頃まではこの堀川にも魚や荷物を積んだ船が往来していました。今は見事な桜並木が美しい、閑静なたたずまいになっちょります。この右手の「中の島」は、静かな住宅街。そして、きれいな浮き桟橋にプレジャーボートが整然と並んじょります。