不動ヶ岩屋遺跡、斗賀野、桑田山温泉〔3468〕2012/10/13
2012年10月13日(土)晴れ!
秋晴れの土曜日。今日は夕方、須崎で用事があるもんですき、午前中の汽車で佐川へ。そして、佐川界隈をたつくり、斗賀野を経由して須崎の桑田山(そうだやま)温泉まで走るつもりでスタートしました。予定通り、佐川からこの写真の不動ヶ岩屋洞窟遺跡を楽しみ、美しい景色の中、斗賀野まで抜けたところで、左足首をちくと捻ったようで、痛い。ここは大人の対応。無理をしないひまわり太郎は、斗賀野から汽車に乗って吾桑駅まで行き、そっから桑田山温泉に行くことにしました。大人になったモンです。
で、汽車が来るまでの時間を利用して、今、このにっこりを書きよります。たぶん途中までで、汽車が来ますきに、そっから先は温泉につかってビールを飲んでから書こうと思いよります。
さて、本日最初の目的地はここ、不動ヶ岩屋洞窟遺跡。佐川駅から斗賀野の方へ坂を上り、猿丸峠から右折、坂を下って、川沿いに尾川という集落へ。そっから左折して小川に沿って美しい風景の中を遡っていくと、左手に案内板があります。大きな石灰岩が露出した山。その山の、谷沿いの小径をどんどんと登っていった、石灰山の中腹にあるががこの遺跡。
縄文時代草創期、今から10,000年〜12,000年前の、住居であった洞窟の遺跡。高知県内では有数の古い時代の遺跡。ここを初めて訪れたのは今から6年前。当時まだ小学校3年生やったJr.2号と一緒に行きました。
竹薮の中の小径はセメントで舗装されちょりました。途中、蛇が、この洞窟を守るように小径のまん中に居座っちょったがが印象的でした。さすが、古い古い場所。
この洞窟の広さは、幅4m、高さ6m、奥行8mの本洞と同じく奥行8mの支洞から成り立っちゅうそうです。昼間でも、奥は暗いので、見えません。入り口の部分がこの写真。ここが団欒スペースやったがでしょうね。当時は最終氷河期が終わろうとしよった時代。三内丸山遺跡の時代よりも5000年も昔。まだ、旧石器時代から縄文時代へと移行しよった時代ですけんど、土器など、縄文の匂いのする遺物が出土しちゅうのであります。さて、汽車が来るので続きは温泉で!
温泉到着。
桑田山温泉。そうだやまおんせん、と読みます。
さて、高知の遺跡で、かなり古い部類になるがが、昨年4月9日にご紹介した、南国市の、奥谷南遺跡。2万年前の、石器時代の遺跡。それから言うたら新しいが、1万2000年前ですき、弥生時代からいうて、その5倍ばあ古いということになります。そんな時代、ここが、なぜ、住居に選ばれたか。
木の実を採集したり動物を狩ったりするがに、便利な場所やったがでしょう。そして、冬も暖かい洞窟。外敵から身を守るがにも安全やったがでしょうか。かなり長い期間、ここに、人々が暮らした痕跡があるそうです。今の発掘技術で、今一度徹底してこの界隈の調査をしたら、面白い遺跡がどっしこ出て来るかもしれません。妄想すると、楽しゅうございます。
さて、ここ、桑田山温泉、なかなかスベスベして、良いお湯。施設は古いですけんど、今、裏手で新築工事をしよりました。露天風呂もできるにかありません。楽しみ。
おじいちゃんが一人、入浴しよりました。大正10年生まれ、91歳。元気です。50年、この温泉に入りに来ゆうそうです。この温泉はエイ!と、たかでウゲよりました。
10年ばあ前、交通事故で内蔵が破裂、腹を切って手術した後、この温泉へ来よったらしゅっと直って、医者がビックリしちょった話。仕事中に鉄骨が太腿に刺さった時も、ここで直した話。製材の機械に指を挟まれて肉が削げ、骨ばっかりになった時も、この温泉に8日通うたら肉が付いてきて、上等になった話。よく大怪我するおんちゃんですが、全部、この温泉が直してくれた、と喜んじょりました。
これも何かの縁と、横浪でご自分がつくりゆうという早稲みかんをくれました。美味しかったです。
なかなかエイお湯です。桑田山温泉。