知本温泉事件〔3440〕2012/09/15
2012年9月15日(土)照ったり降ったり曇ったり
明日は、高知街ラ・ラ・ラ音楽祭。台風の風雨が心配ですけんど、まあ、なんとかなるでしょう。なるようになりますき。
さて、ここは高知空港。かの吉田茂さんの銅像が、ついこないだ、ここに移設されました。2006年12月28日のにっこりや、今年の1月7日のにっこりでもご紹介した通り、かなり辺鄙な場所にあったので、良かったです。
吉田茂さんについては最近注目され「戦争に負けたが外交で勝つ」などといった話が強調されます。しかし、吉田さんのすごいところは、大局、将来を見通した政治眼を貫き通したこと。戦前は、英米派の外交官として、圧倒的な世論とマスコミに反してドイツとの接近に拒否しつづけ、冷遇されました。強攻路線に、強烈な矜持をもって対抗したので、戦後、進駐軍支配下、外相、首相になることができた訳です。
当時、戦争に突き進んだのは、軍部が独走したためではありません。マスコミ、そしてポピュリズムに煽られた大衆世論が、圧倒的に「軟弱外交」を攻め続け、戦争に突き進んだ事実が、それが歴史です。それに真っ向から反対したのが吉田茂。戦後、防衛大学校ができて最初の卒業生を送り出すときの訓示は「諸君は、国民から白い目で見られ、疎まれ、決して尊敬されることはないかも知れない。しかし、諸君がもてはやされるのは、国が不幸な目に遭っている時や 災害時である。諸君が脚光を浴びずにいられることが、この国にとって良いことであるので、そのつもりで頑張ってもらいたい」というもの。これが矜持です。
さて、話は変わりますが、昨日、30年ちょっと前に友人と台湾を中古自転車で一周した話を書きましたので、その時のことをちくと書きます。
私も友人も、大学の第二外国語が中国語。まあ、ニッポンの大学の第二外国語ですきに、たかが知れちょりますが、それが使えるか、試しに行った側面もあります。
とある台北の百貨店で、その友人M君が、トイレに行きました。外で待ちよったら、中からオラビ声が。「おおい、紙がない!」。そう。台湾では公衆便所に紙が無い。忘れて慌てて飛び込んだのでした。そこで小生、通りがかりのおんちゃんに「我的朋友 在厠所 没有紙」と喋ってことなきを得た、それほどの語学力。
山中で迷い、道を尋ねた民家が泊めてくれ、気が付いたら村中のひと達が集まってきちょった感動的な話とか、色々ありますが、今日は「知本温泉事件」を語りましょう。
その日は、台湾最南端の岬を周り、軍事施設があって道路が通行止めで引き返したりしながら、夜になって、どうぞりこうぞりその日の目的地「知本温泉」にたどりつきました。台東の南。もうフラフラ。で、M君が、「先に風呂に入りにいってくるぞ〜」と出かけました。しばらくして「お〜の、エイ風呂やった。広い露天風呂があるぜよ」とのこと。そこで小生も風呂へ。露天風呂の脇で、手持ちの石鹸で頭や身体を洗い、広い湯船につかって、心地良うなって部屋へ帰ってきました。
私「エイ風呂やったねや。けんど、ケシカランことに、海パンはいて入っちゅう不届きモンが居ったぞ。温泉に海パンは邪道やねえ。」
M君「おう、あしの時にもおったおった。まっことケシカランねえ。」
その晩ゆっくり休み、翌朝。
私「もう一回風呂行こうぜや」
M君「おう、行こう行こう」
そこで昨晩の風呂へ。行って、明るうなったその風呂を見てビックリ。水着を着た老若男女が、そこで泳ぎゆうではありませんか。
そう。そこは「温泉プール」だったのでありました。顔面蒼白。
昨晩、プールに、全裸のアジア人の男が入れ替わり立ち替わりやって来て、プールサイドで石鹸にて身体を洗い、全裸のままプールに入って、帰っていった、という事件があった訳です。
別名「温泉プール全裸入浴事件」ともいわれるこの事件は、外交問題に発展することもなく、青春時代の大切な思いでとして、我々の胸の奥深くにしまいこまれることとなったのでありました。