トンネル〔3439〕2012/09/14
2012年9月14日(金)晴れたり曇ったり降ったり
昨夜も降りました。今朝は、雲は多いですけんど、晴れ間も見えます。へんてこりんなお天気。
昨日の午前中は大変でございましたが、小生個人のFacebookに書きましたように、無事、切り抜けました。田舎の皆さんの人情にホノボノしつつ。良い経験でございました。
その「道を間違え前輪後輪脱輪事件」があった場所から少し安田川を遡行したところにある「エヤ隧道」を、昨日のにっこりではご紹介しました。森林鉄道のトンネル。明治44年にできたもの。
トンネルというのは、それぞれが持つ独特の雰囲気で、郷愁を感じさせてくれるもの。それぞれそれぞれに味があります。昨日のエヤ隧道は、その壁面の石積みや、微妙な美しさを醸し出す入り口のアーチの形状。たまりません。
で、今朝は、土電安芸線の、今までにご紹介してない手結のトンネルを撮影してきました。こないだ、8月23日にご紹介したトンネルの西にある「征天工」という扁額がかけられたトンネル。西の入り口から撮影。自転車に乗ったおんちゃんが、ちょっと不審げに見ながら通っていきました。今はサイクリングロード。
この右手の木の柱、これは間違いなく電車が走りよった頃の痕跡でしょう。架線の電柱かも知れません。電車のトンネルは、このように、なかなか風情があります。
割合好きなのが、桟橋から浦戸湾に突き出した孕半島の先っぽにある孕隧道。水上飛行機の発着場があった場所の横にあります。短いですが、樹々に覆われた感じが素敵。
国内で、今までで一番怖かったトンネルは、昨年8月17日にご紹介した、旧大峠トンネル。丁度霧が立ちこめ、ものすごい雰囲気。真っ暗で見通しのきかないトンネル内を、決してルームミラーを見ないようにして通り抜けました。
しかし、今までの人生の中で一番怖かったのは、台湾のトンネル。
学生時代、友人と2人で、春休みを利用して台湾へ行きました。台中の自転車修理やさんで、中古のボロボロの自転車をそれぞれ激安で購入。それで、ずうっと一周してきました。色んなすごい出来事があって、実に楽しかったのですが、その中での恐怖体験をひとつ。
ずうっと一周してきて北東部の花蓮に着き、そっから山へ。太魯閤(たろこ)渓谷方面。当時は道路も未舗装が多く、自転車ではかなりキツい。しかも私のボロ自転車、しょっちゅうチェーンがはずれ、動かなくなるのでありました。
夕暮れ、山に向こうて行きよりますと、川沿いに長い長いトンネル。手掘りみたいな、壁面がでこぼこしたトンネル。灯りはまったくなく、どうやって見てみても、向こうの出口が見えない。こんなところ、自転車で来る人も居らんのでしょう。
意を決し、自転車の灯りを頼りにトンネルに突入、がたごといわせながら、チェーンがはずれんことを祈ります。
が、はずれました、まん中、真っ暗な場所で。
そこで、何度もはめ直した経験を頼りに、真っ暗い中、速攻で修理。震えました。そして、もう、祈るような気持ちでペダルを踏み、トンネルから脱出したときには、心底ホッとしたのであります。あんな怖い思いをしたトンネルはありません。
話がズレました。
国内のトンネルで、ちょっと異色やったのが、関門海峡の人道トンネル。歩いて、福岡県と山口県の県境を越えれる場所があることは、メッソ知られちゃあしません。なかなか興味深いトンネルです。
貴重なトンネルがありました。今はもうありません。
南国市の西端、伊達野の南の山、向山にあった戦争遺跡のトンネル。太平洋戦争末期、米軍の上陸に備え、陸軍の部隊が手掘りでつくった陣地のトンネル。映画「硫黄島からの手紙」の、あの地下陣地を思い浮かべてください。規模は小さいながら、あそこで本気で戦争をしていた痕跡。今は、道路工事によって取り壊され、なくなってしまったトンネル。