金剛山の夜明け、土佐の有力氏族〔3430〕2012/09/05
2012年9月5日(水)晴れ!
今日も良いお天気。しかし今年の夏は雨ばっかしでした。よさこいからこっち、キレイに晴れた日はほとんどなかったですきんね。晴れちょっても、突然ガイに降り始めたりして、もう、とにかく雨ばっかしでした。
ここは物部川。一昨日ご紹介した物部川橋から少し遡上した西岸。
物部川、状態の良いときは、じつに素晴らしい鮎の漁場。今年も、5月15日に解禁になってからは、なかなかの釣果を皆さん楽しみよりました。しかしこの川、何度か書きましたが、大雨に非常に脆弱になっちょります。上流のダム湖に、崩壊してきた土砂が堆積、ちょっと大雨になるとすぐに濁ってしまい、その濁りがダム湖であることによってなかなか消えない。その濁りは下流域まで影響するので、鮎が釣れんなる訳です。
どうやら今年は、大雨がビッシリやったので、濁りが薄まる暇がなく、ずうっと悪い状態が続いちゅうにかありません。ですきに、鮎釣りにならんそうです。せっかく、川床や産卵場所の状態が良くて、たくさんの鮎が釣れるようになってきた物部川。やっぱし根本的にダムの底の土砂をさらばえんと、毎年こんなことになってしまいます。
さて、写真では、丁度、三宝山のてっぺんからお日様が昇ろうとしよります。標高259.9mの三宝山。金剛山という名称の方が、昔から親しまれて来た呼び名のようです。金剛童子山とも。
昔、てっぺんに金剛道寺(金剛童子)というお寺さんがあったので金剛童子山。こうやって見ると、お日様が輝き、神聖な雰囲気マンマン。金剛童子ですき、密教系の信仰の山やったがでしょう。修験道にも通じます。
この写真を撮影した場所から南が南国市物部。物部氏の一族が住んだので物部郷でした。いつもの野市、上岡八幡宮は、石船伝説があることからわかるように、物部氏に関係があるのは間違いない。物部氏の祖とされるニギハヤヒさんは、西から東へと天磐船に乗ってやってきて、哮嶺(たけるがみね)に降り立たったとされます。
物部氏は、結局、中央の覇権争いから脱落していった悲劇の氏族とされます。天皇家と並ぶくらいの勢力を持っちょったにもかかわらず。で、土佐にも、その類族がたくさんやって来たがかも知れません。まず、上岡(神岡)に石船で降り立ち、そして再び飛び上がって旧香我美町の石船神社のところへ飛んで行った、とされます。その辺の事情は、2010年7月25日のにっこりに書きました。
その石船神社は、あの金剛山の向こうの谷を遡っていった山間にあります。物部氏は、そこまで移住していって、一族の火を灯し続けたがかも知れません。
左手のとっと向こうに、御在所山。乳房のような形をした、信仰の山。平家の落人伝説に彩られた山。
土佐の山中には、中央から移住してきたり落ちてきたりした有力氏族の痕跡が、いまでもたくさん、言い伝えとともに残されちょります。