住吉神社と花之丞さん〔3403〕2012/08/09
2012年8月9日(木)薄曇り
今朝は、家から南国の会社まで走って出勤してみました。今まで、走って帰った回数は数えきれませんが出勤は初めて。
お日様が出てしまうと暑いので、午前4時過ぎに家を出発、稲刈りがすんだ後の、あの、炊きたてご飯みたいな香りがする田んぼ道を快走してきました。この季節、こないだの日曜日がそうやったように、昼間走るのはこじゃんとキツい。しかも危険。暑過ぎますき。で、皆さん、夜走ったり朝走ったり。
で、ひまわり太郎は、通常、帰りがけとかの夜に走ります。実は昨夜も走って帰りました。が、自宅に折り畳み自転車を下ろしちょくがを忘れちょりまして、ホントやったら今朝は自転車出勤になるところが、急遽ランニング出勤となってしもうたのであります。しかし良かったです。夜よりも涼しく、ずっと走りやすい。
走り始めた時刻はまだ真っ暗。夜です。が、東向きに走りますき、正面の空が少しづつちょっとづつ明るんできて、夜が明けてくる風景はなかなか素敵。これはエイです。お日様が出てしまうと急激に暑うなりますきに、メッソゆっくりはできませんが。
さて、写真は、その出勤途中立ち寄った住吉神社さんから撮影した風景。南国市の、吾岡山の西側にある、船岡山。正確には船岡山やった場所。標高54.1mの、古墳がたくさんあって住吉神社が鎮座まします神様の山、船岡山。
今は、外周の樹々だけ残し、内側は全部えぐり取られてこんなになっちょります。今一度整地し直した土台の上に、新しい拝殿になった住吉神社さんが鎮座。古い、由緒ある本殿には、大きな覆いの屋根がかぶせられちょります。
この内側、以前にはなかった池ができちょりました。掘りゆううちに水がでてきた訳です。こうなったら、その場所はもう採掘できんでしょう。以前にご紹介した、同じ南国市の稲生、石灰山の大きな池と同じメカニズムでしょうか。
さて、ここに鎮座まします住吉神社、土佐でも有数の大きな奉納相撲が行われたりした、かなりの有力神社でした。そこで、その住吉さんに参拝する道が、住吉通りと呼ばれたかも知れません。土佐電鉄の電車の住吉通り停留所は、こっから真北にいったところにあります。
その、住吉通りのある南国市篠原に、桜の木を植えることを生き甲斐にした人物が住じょったそうです。藩政期後期。広谷喜十郎先生の文章によりますれば、その人物は武市花之丞さん。花之丞さんは、土地の繁栄を願い、あちらこちらからたくさんの桜の苗木を取り寄せて植えました。「川辺」とありますので、この山の南麓を東西に流れる小川の畔でしょうか。
春になると、桜の花の下で多くの善男善女が集い、楽しんだそうです。
文政6年(1823年)に亡くなりました。
この新しくなった境内には文化8年(1811年)の手水、文政4年(1821年)と文政12年(1829年)の玉垣が見えます。花之丞さんの晩年の時代。その手水や玉垣がご寄進された頃、春になれば、この山裾は桜の花に彩られ、大勢のお花見客で賑わいました。