仙台屋桜と追手前小学校〔3397〕2012/08/03
2012年8月3日(金)晴れ!
今日は高知。暑い暑い朝。
昨日、三宅坂上、国立劇場の仙台屋桜のことを書きました。そう言えば、こないだ、突然仙台屋桜の名前が出て来た会議があったことを思い出しました。それは、高知市立追手前小学校閉校記念事業の実行委員会の会議。
ひまわり太郎が通うた高知市のまん中にある小学校、高知市立追手前小学校は、来年3月、その、141年の長い歴史に幕がおろされます。子供が減った街中に小学校があるのはもったいないとかなんとか、いろんな理由がつけられて閉校に追い込まれた小学校。それでいて、まちなか居住を促進して中心部の賑わいの再構築を、などと議論しゆう訳ですきんね。小学校がない地区に、小学生の子供が居る家族は住みませんきに。
それはさておき仙台屋桜。
今一度、仙台屋桜のことをキチンと書いちょきます。
藩政期、東北、仙台から佐伯さんという方が高知へ移住してきて「仙台屋」という屋号で商売を始めたとか。で、仙台から持って来て、その高知の屋敷の庭に移植した桜が、それはそれは美しかったということです。いつしか近所の人々が「仙台屋の桜」と呼ぶようになりました。
この桜を、牧野富太郎博士がことのほか気に入り、苗木、接木の無心をしょっちゅうした手紙が残されちょります。花の色の濃い、山桜系の桜、仙台屋桜。
その仙台屋桜が、追手前小学校の敷地内にあるというのであります。閉校記念事業の実行委員会で、校長先生からそんな話がでました。そして、何故、そこに、そんな桜があるのか、経緯をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいと。
しかし、その経緯を知っちゅうヒトは、その場には居りませんでした。そこで現在、記念事業のホームページで、誰かその経緯を知っちゅう方がいらっしゃったら教えて欲しい、と呼びかけゆうのであります。そんな仙台屋桜。
今朝、その追手前小学校へ行ってみました。早朝で、もちろんまだ開門もしちょらんので、中には入れません。外周を歩きながら、それらしき樹を探してみました。
ここは、西門からちょっと南へ下ったところ。この西はひろめ市場。正面の建物は、ひまわり太郎が在学中に完成した体育館。左手に校舎が見えよります。
この体育館の手前に、桜の樹が一本。外周で、古くから残っちょりそうな桜の樹はこれだけでした。ひょっとこれが、その、仙台屋桜かも知れません。全然違うかも知れません。今度、教えてもろうちょきます。
追手前小学校と言えば、そてつ。戦争の空襲で校舎が全焼した際、その「そてつ」が生き残り、再生と平和のシンボルとして、今も校舎の脇で元気に育ちよります。閉校後、この学校はすべての施設が取り壊されます。そてつは残るのでしょうか。
実はひまわり太郎、閉校の記念誌に、当時のことを書いてくれと頼まれました。短い文章ですが。それに書いてみたのは、あの頃、追手前小学校で流行っちょった遊びの数々。
ボール遊び一番人気は「かたき」。これはどうやら当時の追手前小学校のみに存在したローカル遊びにかありません。そしてフットベース。
その他ではなんと言うたち相撲。大流行り。鬼ごっこ系ではSの字。そして泥警。かくれんぼ系では東京かくれんぼ。
自分が通うた小学校を眺めると、ついこないだのように、あの頃の風景が蘇ってきます。