センター、ひろめ、ショッパーズ、プラモ屋〔3364〕2012/07/01
2012年7月1日(日)雨のち晴れ
朝のうち結構ガイに降りましたが、お昼前からお日様が顔を出し、こじゃんと蒸せてきた高知市内。ちくと調べものがあって図書館へ行っちょりました。お城の周辺や日曜市、ひろめ市場はいつものような賑わい。これから、この界隈もどんどんと風景が変わっていく予定になっちょります。
この写真は、帯屋町のアーケードの西端、大橋通りのアーケードの北端をちょっと西へ行った場所から撮影したもの。左に、帯屋町アーケード西入り口が見えます。その左にちょっとだけひろめ市場エントランスが写っちょりますね。
この正面の白い構築物は、ここに建ったマンションの立体駐車場。その向こうがマンションで、一階部分は食品スーパー。
高知で一番最初のスーパーマーケットができたのは昭和30年代中頃。まず、今は空き地になっちゅう、以前ショッパーズがあったあの場所。次に、このマンションの所。いずれも高知スーパーさん。
ただ、ひまわり太郎の記憶では、ショッパーズの所のスーパーの印象はまったくありません。あそこには病院があって、小学校の裏の塀の破れちゅうところから出入りした記憶はあります。やっぱし印象に残っちゅうのはここ。間違うちょったらすみません、我々は「センター」と呼びよったような記憶があります。
買物かごを下げて、「ちょっとセンターへ買いもんに行てくるき」てな感じ。そんな遥かな記憶。
大橋通り側の東入り口の魚屋さんが大きな声を張り上げ、その南の果物屋さんの大きな声と張り合いよりました。下が見下ろせるようになった2階の一角ではかき氷とかを食べた記憶。ところてんという不思議な食べ物も、そこではじめて見た記憶。全部、何か他の記憶とごっちゃになっちゅうがかも知れませんが、ひまわり太郎としてのセンターの記憶は、そんな風景になっちゅうのであります。
今は経営者も建物もかわりましたが、同じ場所の食品スーパーがあることは、地元にとっても、ひまわり太郎にとっても、こじゃんと嬉しいこと。
ひろめ市場のある所は、小学生当時はひろめ屋敷と呼ばれ、狭い路地が縦横に走るごちゃごちゃした住宅地。そこの南東の角の所に、小学校の同級生の八百屋さん。その北側に小さなプラモデル屋さん。北へ行くと同級生の文具屋さんの事務所。もうちょっと北には大衆食堂、回転まんの店とかがあり、追手前小学校西入り口の前には同級生の酒屋さん。その北には切手屋さん。
ここを通ると、40年以上前の記憶が蘇ってきます。
右端に、四角い石柱の頭の部分が写っちょります。この石柱、正面には「武市瑞山先生殉節之地」と刻まれちょります。ここには、幕末、土佐藩の南会所があり、その牢獄に武市半平太さんは入獄され、切腹させられたがはご承知の通り。
この碑の上をご覧下さい。ここを訪れた半平太を悼む方々によってでしょうか、様々な硬貨が並べられちょりました。誰にも取って行かれもせず、公共の場所に硬貨がそのまま。
この前を、小学生ひまわり太郎は何度通ったことでしょう。しかし当時は、武市瑞山さんの碑のことも、小学校の東に立つ吉田東洋さんの碑のことも、ひとっちゃあ知りませんでした。40年以上経って反省反省。