1年3ヶ月経過しました〔3345〕2012/06/12
2012年6月12日(火)小雨
今朝は梅雨らしいしとしと雨。かなり涼しい朝。
昨日で、あの大震災から1年と3ヶ月。職員が最後まで避難を呼びかけながら犠牲になった防災庁舎を、被害をを後世に伝えるために残すことにしていたのが、遺族が、それを見るに忍びないということで取り壊すことになった、という記事が載っておりました。これは、本当に、難しい、あまりに難しすぎる判断だと思います。
まだ、復興への道は遠い1年3ヶ月目。
さて、安政南海地震の1年3ヶ月後を、いつものように、宇佐、真覚寺住職静照さんの日記から拾うて現代土佐弁に読み下してみます。まず、丁度1年3ヶ月目の安政3年(1856年)2月5日の記事。
2月5日 晴れ
大風が吹き、こじゃんと寒い。午前11時頃、小揺れ。お昼過ぎ、急に風が激しゅうなった。雪が、煙のように急に降り出す。1時間くらい降ってやんだ。また、空は晴れて風が吹く。又、しばらくしよって雨がちっくと降った。午後2時頃小揺れ。夜、10時頃にも小揺れ。寒風は、夜明けまで吹き続けた。
余震は結構多いですね、まだ。現在の東北も、こんな感じかも知れません。
2月13日 晴れ
穏やかなお天気。風もない。この頃、下浦沖で、鰹が大漁にかあらん。宇佐の船も、そこに向こうちゅう。真夜中に小揺れ。
この時期の日記をみると、鰹がよく獲れゆう記事が頻出します。宇佐は、やはり鰹で潤う浦なのであります。
2月15日 陰天
春の寒さが肌を突き刺す。汐の干潮の具合を観察してみると、昨年よりも低うなっちゅうと見えて、浜がびっとづつ現れ、その州で、人々がマテ貝を採りゆう。福島の州が、一番採れるにかあらん。午後3時頃中の小揺れ。暫くたってまた小揺れ。夕方4時ばあから雨が降り、日暮れにやんだ。夜になって月がかすかに見えた。
旧暦の15日ですき、満月の大潮。この当時、宇佐ではマテ貝がどっしこ採れよったと見えます。近年、高知の浜ではなかなかお目にかかれんなったマテ貝。ひまわり太郎が毎年観音寺の有明浜まで採りに行きゆうマテ貝、この時の大潮では汐の引き具合も良く、大漁やったにかありません。
さて、この月の10日の日記には、興味深い記事。
2月10日 晴れ 無風
東灘の人、帰る。お昼頃、寿念寺弟徳成が来た。美須都を雇い、肩の治療をした。夕方4時頃小揺れ。この頃、他国の米を売買しよったモンらあが露見して、この浦に役人がやって来て詮議した。どうやら、30人ばあがこの犯罪に関わっちゅうという噂ぢゃ。
米の密売ですね。当時は、米は、年貢にも使われよったように、完全に藩、幕府の管理下にあった訳で、ヤミ米は御法度。30人とは、かなり大掛かりな密売組織が動きよったと推察できます。
さて、写真は、今朝の南国市、久枝海岸。大震災後、毎月11日前後にご紹介してきた海岸は、今朝も静かな風情。以前、この沖の土佐湾で、覚せい剤を大量に積んだ漁船が摘発されました。静かな海岸線の沖で、そういった売買が行われよったということで、このような看板が掲げられちょります。密売は、いつの世も犯罪です。
いつもご紹介するこの海岸線が、16mの最悪津波予想の海岸。逃げる命山は、今はありません。