父養寺のあじさい、先人の智恵と努力〔3340〕2012/06/07
2012年6月7日(木)晴れ
今朝の高知新聞に、野市、父養寺のあじさい街道の話題が載っちょりました。野市の街から北上していった、上井川という野中兼山さん開削の用水脇にある「あじさい街道」。毎年ご紹介しちょります。
2009年6月3日とか2010年6月4日とか2011年6月8日とか。
こうやって過去を眺めてみると、今年も、大体平年並みの咲き加減のようでございます。この右手を上井川が流れ、この下流へ行くとこないだもご紹介した三叉。
以前から何度かご紹介しゆうように、高知でのあじさい名所には、野中兼山さん開削の水路沿いのものが多うございます。こことか、春野のあじさい街道とか、四万十市の安並の水車界隈とか。あじさいは、そんな、水路沿いに咲くががよう似合う花。
さて、ここ、父養寺は、何度もご紹介したように、貞観8年(866年)に、応天門の変に連座して土佐に流されてきた貴人、紀夏井さんゆかりの土地。たいした人物やったようで、数多くの土佐へ流された人物の中でも頭抜けちょります。詳しくは、2005年5月12日のにっこりに、その邸址の写真とともにご紹介しちょりますのでご覧下さい。
さてさて、で、このあじさい街道。今朝の新聞を読みますと、約20年前に、地元の岡田順一さん(84)と西佐古の横田博さん(64)があじさいを植えたがに始まるそうです。それが今や1.2km、19000本のあじさいが咲き乱れる見事な名所になった訳で、いつも申しますように、先人の智恵と努力にはホント、頭が下がります。各所に色んな花の名所がありますが、その始まりは、近所の方の志やったケースが非常に多いことに驚かされます。
例えば、高知市の堀川の桜。例えば鏡川沿いの白花栴檀。
鏡川の土手の白花栴檀は、神谷小学校から接木してきたもの。昔、お菓子の浜幸様の創業者の奥様が、牧野富太郎博士が命名した、珍しい、白い花が咲く栴檀の木を、それは素晴らしいということ、伊野の神谷小学校から苦労して貰い受け、たくさん接ぎ木したそうです。ところが。
当局から、そんなもの勝手に植えたらイカン!ということで注意され、泣く泣く、せっかく植えた樹を抜いたそうです。なんということ。
それでも、今、白い花が咲く栴檀は、鏡川土手に数本だけ残りました。先人の智恵と努力の結果。
いつの世も、熱い想いと、それに水を差す規則運用原理主義者とのせめぎ合いは続きます。もし、そんなことがなかったなら、今頃、鏡川の土手は白花栴檀が咲き乱れる美しい名所になっちょったかも知れません。
ともあれ、今週末、見頃のピークを迎える父養寺のあじさい。ここのあじさい畑は、かなりの厚みがあるがが特徴。ぜひ、行ってみてください。